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にゃ会福祉学 五限目 「居場所」

 猫はこたつでまるくなる。童謡で歌われるように、猫はあたたかく気持ちの良いところが好きなようだ。

 今年の冬は特別に寒い。我が家の猫たち、2歳の雌猫「えん」と1歳の牡猫「ふく」もあたたかな、お気に入りの場所を家の中で見つけて過ごしている。この時期は特に、2匹とも共通して好きなのは毛布だ。人間のベッドの掛け布団をめくり上げ、その下の毛布でくつろいでいる。あまりにも好きなので、リビングのソファにも薄手の毛布を用意している。そもそも、人間のブランケットだったが、気づけば占領された。

 キャットタワーの上の方に身体がピタリとはまるスペースが二つあって、2匹で分け合い過ごしている。ふくが小さい時は、えんの入っているスペースに無理やり身体を入り込ませていたが、大きくなった今はさすがに難しいようだ。

 2匹で寄り添いあっていることが最も多い。大体、えんがくつろいでいるとふくがやってきて、おしくらまんじゅうになっている。首や腕がすごい角度で曲がっているので痛そうなのだが、猫の関節や筋肉の柔らかさは人間の想像を超える。

 えんとふくを見ていると、「世の中のしあわせ」である社会福祉において必要な「居場所」について想いを馳せるのだ。



 居場所という言葉から感じるあたたかなイメージ。温度だけじゃない。ある場所が誰かにとって、心地の良いぬくもりを感じる場所になると居場所に変わるのかもしれない。

 えんが我が家に来た時はかすれた声で鳴きながらペットキャリーからなかなか出てこなかった。ご飯やおもちゃを見せ、声をかけすぎないよう見守っていたら、少しずつ慣れてくれた。

 トイレを済ませたあと、教えてくれるように近づいてきたのを鮮明に覚えている。ふくが我が家に来た時は、私と妻がしたことをえんがしてくれていたように感じる。最初はえんに威嚇(いかく)され、人形のように固まってしまったが、すぐに慣れて、ついてまわるようになった。受け入れてくれる存在がいれば、場所はあたたかな雰囲気を生みだしていく。

 誰だって、そんな存在や場所があったらうれしい。しかし、情報や物にあふれていても、人とのつながりを感じず、孤立を覚える人も多い。

 きゅうのあるアイトピア通りはあたたかな雰囲気の商店街だ。きゅうも見習って、お客さんや利用者さん、訪れる方をウェルカムすることを心掛けている。特別なことをするわけではない。自然な笑顔と元気なあいさつを欠かさない。それが、他者を共感し、受容し、肯定することにつながる。言葉だけではなく、姿勢で示すことを続けていくことで、きゅうも、ここを必要とする人の居場所になっていったように感じる。

 ちなみにアイトピア通りは野良猫が多い。色々な所でご飯をもらい、名前も付けられているようで、毛並みもキレイでふくよかな猫が多い。きゅうでも何匹かの猫に名前をつけて声を掛けている。野良猫が過ごしやすく地域猫になっていく街は、きっと人も住みやすいはずだ。

 きょうも我が家の猫は新たな居場所を見つけようと部屋を探索している。パントリーの上に狙いを定めて、引き戸を開けるようになってしまった。自分の居場所を自分でつくっていく。そんな力強い実践を「にゃ会福祉学」は続けているのかもしれない。

2021.2


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