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にゃ会福祉学 一限目

 「社会福祉学」という授業を私は大学で学んだはずだ。しかし、お恥ずかしいことに大学に通った記憶、授業の記憶がない。ひどい学生だ。そんな私だが、紆余曲折を経て、心の病や障がいのある方の居場所づくり、日中のサポートを行っている。社会福祉の仕事だ。それは毎日が学び。現場、社会、人、本、そして「えん」と「ふく」と名付けた愛猫から私は社会福祉を学び続けている。

 そもそも、社会福祉とは?介護、障害、児童、医療、地域…などがイメージできるかもしれない。ネットで検索するといろいろ出てくる。しかし、身近な生活に感じる言葉は少ない。いきなりだが、難しく考えるのはやめよう。社会は私たちが住んでいる世の中のこと。福祉は?福も祉も「しあわせ」を意味する漢字だ。つまり、社会福祉は「世の中のしあわせ」のことである。

 社会がハッピーになることに関心のない人はいないだろう。誰もが幸せでいたいと思うはずだ。世のため人のため、自分のため、ハッピーのために、私たちが行うこと全てが社会福祉となる。

 「えん」は2年前、とあるガソリンスタンドで生後3カ月くらいで保護された雌猫だ。好奇心旺盛で気が強い。人に懐かないが、私には甘える。「ふく」は昨年の6月、生後1カ月で、とあるお宅から頂戴した雄猫だ。臆病で気が弱く、甘えん坊。2匹とも、たまらなく愛おしい。正反対の性格で大の仲良し。そんな2匹から、私は社会福祉において重要な他者への思いやりを学ぶのだ。

 ふくを受け入れる時、気の強いえんは威嚇(いかく)し、ふくは固まってしまった。えんもふくもお互いのことがわからないところからスタートした。えんは威嚇後、距離を少しずつ詰め、じゃれていた。ふくが嫌がっているように見えたが、えんはじゃれながら何度も毛繕いをしていた。トイレも教えてくれた。愛情を与えてくれるえんにふくは寄り添っていった。わからないから、わかろうとする。

 摩擦は生まれるが、それが互いの距離を適切に保っていく。3日も経つと、ふくはえんの後ろをついて歩いていた。以来、いつも2匹は一緒だが、よく見ると、離れて過ごす時もある。まるで、互いの時間を大切にしているかのようだ。

 人間関係も距離感は大切だが、なかなか上手くいかない。少しの意見の食い違い、みんな一緒に足並みがそろわない、そうして取り残され、離されてしまう人がいる。しかし、そもそも猫も人も一人一人明確に違う。考え方やペースがズレるのは当たり前のことだ。

 人はいつの間にかそのことを忘れてしまう。我が家の猫はお互いが違うことを知っている。意見も足並みも合わないし、合わせない。しかし、毛繕いをし、においをかぎ、目を合わせ、声を掛け合い、わかりあおうとする。わかったふりはしない。わからないから、知りたいから、関わりあう。その姿勢、思いやりが互いにちょうど良い距離感を築いていく。やはり我が家の猫は私の先生であり、「にゃ会福祉学」の教授のようだ。

2020.10

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