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にゃ会福祉学 四限目 「自由」

 猫はいいなぁ。気ままに過ごす我が家の猫を見て、毎日そう思う。

 2歳の雌猫「えん」はオレンジ色のボロボロになったネズミのおもちゃが好きだ。くわえて、色んなところに運ぶ。習性なのだろうか、なぜかお皿やシンクに入れてくる。ご飯の好き嫌いはあまりなく、なんでも美味しそうに食べる。外の景色が好きで、窓を開けると目を丸くして景色を眺める。何より、私のことが大好きで膝の上は特等席だ。座り方にもこだわりがあるようで、両膝の間に身体をはめてくる。おかげで私は長時間、内股になる。しっぽの付け根や頭の上、顎の下を撫でると喜ぶ。

 1歳の牡猫「ふく」はストーブが好きだ。ストーブの上の狭い空間に身体を器用に収めてウトウトしている。なぜか、左前足を上からぶら下げている。ご飯の好き嫌いは多く、グルメなようだ。食べずにいると、えんに奪われている。おなかを撫でられるのが好きで、撫で始めると、手足も広げて、無防備な姿になってしまう。何より、えんのことが大好きだ。一緒にいたくてしかたない。少し煙たがられているときもあるが、健気に毛繕いをされると、えんは満更でもなさそうだ。

 そんな、えんとふくの様子を見ていると、「世の中のしあわせ」である社会福祉において大切な、自由について学ぶのだ。



 自由とは何か?そのスケールと歴史をここで語り尽くすのは難しい。語弊や異論があるかもしれないが、自由を「とらわれないこと」と捉えてみよう。

 えんは私が座ろうとするのがわかるのか、甘えた声を出しながらついてきて、膝にのり撫でられるのを待っている。ふくはえんがリラックスしていると、ここぞとばかりに身体を寄せて、幸せそうに毛繕いをしている。

 二匹とも、好きなことに素直だ。そして、それを実現しようとするエネルギーが強い。嫌いなことには敏感だ。大きな音、知らない人、予測のつかないものは避ける。避けられない時はほどほどにやり過ごす。自分が気持ちよく生きていける工夫を常にしている。

 人だって、気持ちよく生きていきたい。しかし、現実はなかなかうまくいかず、好きなことばかりはできない。「やりたい」より「やらねば」が多い。気づくとそれにとらわれて、自分が何をしたかったか、何を好きだったか見失ってしまう。

 きゅうでは、一人ひとりに声を掛ける。話を聞く。否定をせずに共感する。その地道な繰り返しをすることで、過ごしやすい、あたたかな雰囲気を作り出している。安心できる環境は心のゆとりを生み出す。やりたいことを引き出せる。やらねばならないことにも折り合いをつけることができるようになる。

 人にも猫にも過酷な世の中。やらねばならないことはどうしてもある。しかし、それにとらわれず、自分の好きという気持ちに素直になり、エネルギーの源にしたい。「やらねば」より「やりたい」を大切にしたい。

 今日も我が家の猫は気ままだ。妻の用意したご飯をえんは美味しそうに食べる。ふくは嫌いなものなのかそっぽを向いている。ご飯だって、自分で選び、自分で決める。自分自身の自由をつかみとる術を「にゃ会福祉学」は伝えてくれる。

2021.1


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