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救急車はすぐ来るがなかなか出発せず

50歳前後のとき、救急車を呼んだことがある。西葛西駅(東京)前の道路で老人が酔いつぶれていた。最終電車が気になったが、顔と手に血が流れており、警察より救急車を優先した。

救急車は呼べばすぐ来る、そう思っていたが、その通りだった。そして老人を乗せるとサイレンを鳴らし走り去った。この間、わずか10分足らずある。最終電車には余裕で間に合った。

60歳のときは救急車のお世話に。新木場駅(東京)で乗り換えの際、通路にばったり倒れた。救急車に乗せられ「かかりつけの病院とかありますか」と言われ、通院中の病院を告げた。

覚えているのはこれだけ。気が付いたらベッドの上に。大事には至らず「家族を呼びましょうか」と医師が言うのを拒否。「朝まで寝ていたい」という希望は、医師に軽く拒否された。

救急車はすぐ来るが、今はなかなか出発しない。「1号棟に救急車」と友人からのライン。急いで窓から見ていたら、病人はすでに乗せられている。搬送先がなかなか決まらないのだ。

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