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カッパ淵の主「ふるさと万歳」で紹介

遠野に伝わる「カッパ伝説」。皆に慕われた阿部与市さんは、平成16年2月15日午後11時48分、急性腹症のため遠野市内の病院で死去、87歳だった

遠野といえば河童(かっぱ)で有名だ。先日、テレビにカッパ淵の主・阿部与市さんが出ていた。「わらす(子供)のどぎに、カッパを見だの」と相変わらず、観光客に昔話をしていた。想像上の動物、河童の目撃者として知られている。

遠野物語68話に「土淵村に安倍氏という家ありて貞任が末なりといふ。昔は栄えたり家なり。今も屋敷の周囲には堀ありて水を通す。刀剣馬具あまたあり」と記されているが、阿部さんの祖先のことである。

河童の話は尽きない。川岸の祠(ほこら)も人気スポット。81歳の高齢で、杖(つえ)の世話になっているが、いつまでも元気でいてほしい。阿部さんがいなければ、観光名所の「カッパ淵」も、平凡な川だ。

(平成9年4月30日「にっかん」第409号)

社内報に「ふるさと万歳」というコーナーができた。都道府県出身者の1人が、毎月、故郷の自慢などを紹介する企画である。岩手県出身者は遠野、水沢、二戸市の3人いた。私が代表して「遠野万歳」を書くことになった。

最初から、阿部与市さんと「カッパ淵」を取り上げる予定だった。子どもが小学生の時、家族と4人で帰省した。遠野駅前の貸し自転車で福泉寺と、伝承園&カッパ淵に行った。誰もいなかった。

ほどなくして声をかけてきたのが、あの有名な阿部さん。名刺交換から始まり、子どもたちにカッパの話をし始めた。千葉から来たと聞くと、子どもたちに「ここにこれたのは、お父さんが働いてもらったお金があったから」というような話までしてくれた。

話が途絶えたとき記念写真をお願いすると、阿部さんは首を右に倒し、娘の肩に頭を寄せるなど、ポーズを取ってくれた。それ以降、阿部さんがテレビに出た時は、欠かさず見てきた。ビデオで撮ったりして、阿部さんとの出会いを大切にしてきた。

最後にテレビで見た時、いつもと様子が違っていた。阿部さんが杖をついていたのだ。何歳になられたのだろうか。すぐに電話をかけて「81歳」ということを知った。

電話で話したのは2、3分足らずだが、私は久しぶりに「本当の遠野弁」を聞いたような気がした。

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