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食品原料、添加物の販売で、九州の「食」をバックアップ。独自の営業スタイルで、メーカーの心をつかむ株式会社【勝木研二商店(前編)】

九州の主要醸造会社6社で構成される「九州ビネガー会」。各社のものづくりへの思いを紹介するシリーズ『TSUNAGUレポート』の第11回。今回は「食品原料」「食品添加物」を中心とする卸売業の老舗、勝木研二商店。九州のこだわりのある原料を各メーカーなどに提供し続けている企業です。今回は5代目となる勝木隆史社長と次世代を担う息子さんの勝木憲太郎専務にインタビュー。前編は、勝木隆史社長に、勝木研二商店の歩みや経営理念、成功事例、世代交代へのお考えなどについてお伺いしました。

酒造をルーツに九州の「食」を支えてきた企業

 お客様は、醤油・味噌メーカーが約35%、調味料・タレメーカーが約25%、漬物メーカーが約15%の割合。これが全体の約7割のお客様となります。特に九州の醤油は、アミノ酸液を配合して甘味や旨味をつけた混合醤油がメインなので、大手との差別化ができて福岡県内でも80軒以上の醤油メーカーがあります。
 
元々、本家が酒蔵で分家である私共の先祖は醤油屋でした。創業者の勝木研二は福岡県酒造組合の理事長として仕事をしていた際、酒屋に出入りする業者が地元にいない事から組合員の推薦を受けて、1910(明治43)年に独立した事が弊社の始まりです。
 
醸造機械の販売と同時に、食品原料や添加物を一緒に売ることを考え、武田薬品工業様の九州初の特約店になりました。
 
1964(昭和39)年、3代目の勝木清が就任した際には醤油業界に進出。兵庫県の播州調味料様の福岡・佐賀における特約店として、アミノ酸液の販売に着手します。その後、漬物メーカーにも営業をかけ、現在は調味料・タレメーカー様ともお取引させていただくようになりました。


販売金額で九州一を目指す「No.1戦略」
 
弊社には「No.1戦略」という経営上の考え方があります。これは大手の仕入先様と取引するにあたって、”販売金額で九州一”を目指すということです。例えば、キユーピー醸造様とのお取引きもそうですが、仕入金額九州一という会社様がいくつもあります。
 
これは「ランチェスター戦略」というもので、3代目社長の清が取り入れたもの。簡潔に言うと「差別化」「一点集中」「接近戦」という経営戦略で、弊社の様な規模でもいい条件を引き出すためには、”ある一定の商品にだけ集中して販売していく”ことが効率的。それでNo.1になろう、という考え方で、弊社は今まで推し進めてきました。
 
ロングセラー商品「フリーズドライお味噌汁」
 
その成果となる商品の一つが、「フリーズドライお味噌汁」。年間約400万食販売しています。これは2003(平成15)年、あるメーカーさんの勉強会に出席した際、フリーズドライの話が出ていて、最初どんな商材かわからなかったです。「味噌ブロック」についてもそこで知りました。
 
当時すでに核家族化が進んでいて、家族で食卓を囲むことも減り、鍋でだしを取り、味噌に溶かして味噌汁を作る機会が減っていた時期でもありました。そこで、お湯を注ぐだけで味噌汁を簡単に作れる「フリーズドライお味噌汁」の提案を考え始めたのです。
 
「味噌ブロック」は商品化する際、通常の会社だと1回の製造で3~4万食、生産しなくては採算が取れない。でもそんな大ロットで作っても、売り切ることが難しいですよね。しかし弊社と取引のある会社は、1回=7千食でできる。弊社ではそれを”売り”にしたのです。又、大手メーカーとの差別化の提案として伊万里牛の味噌汁や鹿児島の郷土料理の鶏飯汁の製品化のお手伝いもしました。
 
その後、四国、中国、山陰へと広げることができた。そして東北では仙台空港近くの駐車場を借りて福岡ナンバーの車止めていました。
 
2週間かけて東北各地を周りました。「えっ、福岡から来たの?」「昼ごはん食べていきぃ」と、東北の方は、めちゃ親切です。これがきっかけで東京営業所も開設しました。 

 

お客様に喜ばれた事
 
1)九州で最大手の漬物メーカーの話です。東日本大震災で納品をしていた異性化糖の出荷制限がかかりました。そこで日本全国異性化糖メーカーで出荷してくれる所を探し、一社だけこの価格ならと対応して頂ける所がありました。納品する毎に数万円の赤字が出ましたが、出荷制限が終わる迄、供給を続けました。
 
2)ある米焼酎メーカーでの話です。蒸留用の安い原料米を使用していた時代、弊社はあえて高価な醸造用(清酒用)の米を提案。試作すると高付加価値の米焼酎が完成しました。40年後の今でもヒット商品となっています。
 
3)福山にあるキムチメーカーの話です。関東地区で販売するにあたり、日持ちの問題をクリアするお手伝いをさせていただきました。今では日本のキムチメーカーの大手一社にまで成長されています。
 
”博多っ子企業”としての世代交代への準備
 
弊社もそろそろ世代交代の時期。そう思って息子にバトンタッチするために最初に行ったことが、会社の引っ越しです。
 
元々、弊社は博多の呉服町にありました。そこは、「博多どんたく」や「博多祇園山笠」など「祭り」の中心地なんです。
 
伝統行事を守るということの対しての時間、体力…これが本当に大変です。
 
私は山笠の町内の責任者にもなりましたし、どんたくの代表や町内会長にもなり、貢献してきたつもりです。ですが、今後会社の成長していく過程で仕事との両立は難しいと判断し、断腸の思いで博多駅の反対側の現在の社屋へ引越し。そのように新しく環境を整えたのです。
 
―前編 おわりー


(プロフィール)
勝木隆史 かつきたかし
株式会社勝木研二商店 代表取締役社長。1957年生まれ。会社の5代目として1995年社長に就任。以降、海外原材料の取り扱い開始、フリーズドライ商品販売を始め、飼料・肥料や高圧ガス販売などにも着手し、会社のビジネスを広げてきた。現在は社長を続けながら、家業を次世代へと引き継ぐため指導にあたっている。
 
●(株)勝木研二商店ホームページ
https://www.katsuki-inc.co.jp/ 勝木研二商店 検索