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家族インタビューVol.1お母さん

家族インタビューとは、わたしの家族をインタビューし、知っているようで知らない家族を”人”として深く知り直すことで、家族の可能性を模索するシリーズです。家族が記事を互いに読みあうことで、よりよい関係を築く機会になったり、さらにはすてきな家族を世界に紹介する場になったらいいなと思い、書き始めました。

初回は、自称「イタキスの琴子*」由紀さん(お母さん)にお話を伺いました。由紀さんは「お父さんベタ惚れキャラ」「ラブコメ・韓ドラなどのベタベタストーリー大好きキャラ」「ベタベタ漫才大好きキャラ」などのキャラクターが印象的ですが、よく考えるとその他の特徴はあまりわかりません(汗)。

今回はそんな”ベタキャラ”がひときわ濃い由紀さんに、家族が知らない”実は”な一面を伺ってみました。
*1990年に発表された、多田かおるによる日本の漫画作品

枝廣由紀
日常の主なお仕事は、食事作り、掃除、断捨離。趣味は新聞を読む、韓ドラ。時々FP(ファイナンシャルプランナー)のお仕事として、お金の学習会の講師、あとはFPの会議、内部学習会出席など。土日はお父さんとウォーキングをして、7,000~8,000歩歩いて、時には外でランチ、月1で仲間とこども食堂を運営。

本当は、繊細なんよ。

ーー家族に知ってもらいたい自分の意外な一面ってある?

繊細で、すごく考えて言動していること。がさつでずけずけと何でも言ってるイメージがあるかもしれないけど、いや違うって言いたい!

ーーなるほど。確かに、あんまり繊細のイメージはない

(由紀さんプンスカ)

ーーどんなときに自分の繊細さを感じる?

例えば、会議中に誰かが誰かを激しく非難している時に、非難している人が更にヒートアップしないように一見その人を認めつつ、本当は非難されている人をさりげなく擁護してるとか。

他にも、自分のことじゃない時に、「この人(たち)は当事者だからあまり強く要求できないんじゃないか」と思ったら、「一般的に考えてこう思う。それはおかしいのではないか」とかって気を遣って意見したり。

気遣った結果「何も考えない図々しい人」になってることがけっこうある。あ、まあ何も考えずにやらかしちゃうこともあるんだけどね。

無難にそつなく生きたくない

何かが下手なんだろうな。「賢い人」はそつなく生きられるけど、それができないんだよね。お節介せずに無難にいることが。すごく人間ができた人は、考えた上で「放っておいた方がいい」という確信をもってそうするのかもしれないけど、お母さんが言う「賢い人」は、自分に関係ないことを優先して考えない、無駄なことをしない人たち

ーー「賢い」のイメージにも、「相手を想い、総合的に考えた上で行動する」ことと、「相手を想うというより、自分に害が生まれない行動をする」ことがあるのかな。とにかく、お母さんの無難にそつなくは生きたくないという想いが伝わってきます。

▼FP講師として活躍する由紀さん。

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「シュッ」と助ける人に憧れる

うん。お天道様が見てるから。無宗教者だけど、自分の中に神がいて、「見捨てるのか?」という声が聞こえる。なかなか難しいけどね。こないだ、街をスリッパ履きでとぼとぼ歩いているおじいさんに、車からわざわざ降りて「大丈夫ですか」って声をかける勇気がなかった。

もしも徘徊しているなら家族が心配しているんじゃないかと思いつつ、ただ散歩しているだけなら失礼だしってうじうじと考えて、結局やらなかった。電車でも、譲るのはかまわないけど「わたしまだそんな年じゃないわよ」って言われるのが嫌で、ずっと立ってる。

本当は、さらっと「どうぞ」と言いたいし、断られたら「そうですか」って席に座っていられるような人になりたい。断られたら「ああ・・・」って意気消沈して自分も座れない、みたいな。

でも、さっとできる人いるじゃん。ああいう人良いよね。感情が入ってない感じが憧れるし、かっこいい。スマートでシュッとしてる感じ。「困ってる人を見たら助けてあげたい」っていうのが人間の本質だと思うから。人に助けてもらうのも嬉しいけど、人を助けることはすごく自分を喜ばせるんだよね。

おじいちゃんの「押しつけない」優しさに憧れて

ーー子どもの頃からそういう感覚だった?

おじいちゃん(お母さんのお父さん)がさらっと人を助ける人だったのが影響してるかも。印象的だったのは、雨の日に家の前のぬかるみでタイヤが空回りしている車を見つけて、「困っとる人がおる」って言ったら、すぐにカッパを着て出ていって、自分の車とロープで結んで引っ張り上げて、「あがったあがった!動いた」と言いながら帰ってきたこと。

さっき言った「スマートに席を譲ってあげる人」は、おじいちゃんのイメージかもしれない。ただ困ってる人がいたから助ける、それだけという感じ。民生委員、町内会長、PTA会長などやってたおじいちゃんに、おばあちゃん(お母さんのお母さん)は「おじいちゃんは目立ちたがりだけん何でも引き受けるけど、わたしにばかり頼って自分は何もせん」と文句を言ってた。

たしかに、お仕事をおばあちゃんに任せるところはあったかもしれんけど、民生委員は困ってる人を見つけて助けてあげるようなもんだけん、やってあげたかったんじゃないかな。PTA会長も、「やりたい人いないならいいよ」って感じだったんじゃないかな。おじいちゃんも、お母さんと同じように繊細というよりがさつなイメージがあると思うけど、お母さんには伝わってくるやさしさがあった

▼若き日のおじいちゃんとおばあちゃんと由紀さん。

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おじいちゃんの存在を感じる不思議な体験

(由紀さん、突然驚く)
やだ、カーテンが揺れた。

ーーそれ、ただの窓の隙間から入ってきた風じゃないの?

ないわよ~、そんな隙間。ちょっと、聴いてくれる?実は、昨日おじいちゃんの命日だったから、今日きれいなユリを持って行ってあげたんよ。家に行ったけどおばあちゃんがいなかったから帰ろうとしたら、リビングから「カチャ」って音がした。泥棒かと思って恐る恐る見に行ったら、ドアが閉まってて、開けるとお母さんのコートが置いてあった。「そうだった、これ持って帰らんにゃいけんのだった」って思い出した。すっかり暖かくなったから、おじいちゃん、教えてくれたのかな。

それで今、おじいちゃんのことを褒めたときにカーテンが揺れたから、おじいちゃんが喜んでくれたのかなって

ーーさすが、長谷川は陰陽師の血が入ってるもんね。

押しつけられる子育てへの居心地の悪さ

うん。あと、ハルさんの影響も受けてるかもしれない。見た目は「ドン」のような感じ。お嬢様だったらしく、勝ち気でわがままだったそう。お母さんに対してはすごく優しい人だったからわかんないけど。おばあちゃんとハルさんは仲が悪くて、嫁姑バトルしてた。

▼若き日のハルさん。

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お母さんから見ると、家の中心にはいつもおばあちゃんがいて、おばあちゃんがおじいちゃんやハルさん、そして子どもたち(お母さん含む)に自分の価値観を押しつけて、攻撃してるように見えてた。「風邪を引いてる時に髪を洗うと風邪がひどくなるから髪を洗ってはいけない」「風邪を引いて学校を休んだらテレビを見ちゃだめ」とか。「休んだときにおいしい思いはさせない」という育て方だった。相手が言ったことに対して決めつけてかかっているから、もっとちゃんと聴いてみると事情が変わってくることはたくさんあったはず。

▼ハルさんとおじいちゃんとおばあちゃんと由紀さんとたっちゃん。

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地の時代の子育てから風の時代の子育てへ

それでも子育てにおいては、子どもに押しつけないことがいかに難しいか、自分が子育てをして実感した。子どもが小さいときは特に、親の価値観で育てざるを得なくて、子どもは親の考えが正しいと思うところから始まる。自我が芽生えてきたら、「あれ?」って違和感を覚える。そのときに、子どもが「親はそう思ってるんだね」って考えられたらいいけど、そのためには親の伝え方が重要だと思う

これまでの親世代って「親が間違っていたら子どもが迷ってしまうから、謝れない」という価値観だった。まるで、警察が市民に「警察は間違わない」と思わせたいようにね。逆に言うと、「親は威厳を持ち、間違ってはいけない」というプレッシャーの中で生きてたんだと思う。だから、お母さんのお母さん世代とお母さん世代のジェネレーションギャップ自体が大きいんだろうな。

ーーだからこそのお母さんの子育てだったのかな。よく友達に「くるみのお母さんって友達みたい」って言われたし、「自由」を大事にしてたイメージがある。でもたしかに、価値観を押しつけられていた感覚はないけど、無意識にお母さんの価値観を自分の中で「正解」と思い込んでいたことはあった。子育てって奥が深いし、終わりのない議論・・・。

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2021年からの風の時代がはじまる。おばあちゃんたちがどっぷりつかってた地の時代の要素が、お母さんの世代は薄まってきつつあった。くるちゃんの時代はまた200年くらい風の時代の価値観が続くから、やりやすいかもね。お母さんとその上の世代では、価値観が大きく変わった。お母さんとくるちゃんの世代はまだ近くて、くるちゃんと子どもはもっと近いかもね。

自分らしく生きられるようになった出会い

ーーということで、なんかいろいろ話してもらいましたが、繊細でいてお節介なお母さんの一面について、ということでした。

今は「傷つけないように」と思ってるし、自分も「傷つきたくない」と思っている。でも、「人間はそんなことじゃ傷つかないよ」と信じたい。
離婚してシングルマザーの人だって、障害を持ってる人だって。みんなが違ってるんだから、1人1人の違いを個性として受け入れられたらいい。受け入れた上で、「助けてあげたい」っていう気持ちが、恩着せがましいかもしれんけど、湧いてくるんよ。だから、お節介な優しさをさらっと表現できるようになりたいね。

ーーわたしの記憶では、お母さんは十分お節介キャラでしたが・・・。前はよく「お母さんがくるちゃんを『過保護のカホコ』にしちゃった?」って言ってた

まあねぇ~。そこは別の問題も含んでる気がするから、一旦置いといて。
でも、そんな風にお節介とか、家族へのベタベタな愛情表現ができるようになったのは、本当に、お父さんに出会えたからだわ。子どもの頃は、たっちゃん(お母さんの弟)がずっと心の支えでいてくれた。そしてお父さんに出会えて、自由に自分らしく生きられてる。本当に幸せよ。

ーーたっちゃんやお父さんとの関係性の中での変化についても聴けたら面白そうだったけど、今回は、主に親子関係の中で形成された価値観などが聴けてよかったです。ありがとうございました~。

▼由紀さんとお父さん。

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編集後記

家族インタビュー第一弾ということで、手探りの中3回ものインタビューに付き合ってもらい、ようやく形にすることができました。
やってみての感想としては、家族との対話というのが本当に気恥ずかしく、途中「わたしは何をやっているのだろう」という気持ちが何度もかすりました(インタビュアーとしてまだまだだなあ)。でも、聴けば聴くほどお母さんの素は自分とそっくりで、聴くことが自己理解につながるのが面白いし、「家族という集団はやっぱり特殊で面白い、こうやってつながっていくんだなぁ」と感心しました。不器用で葛藤の多い親子!

また、子育てに関する葛藤は、普通なかなか親子間で共有されないものではないでしょうか。多くの人の価値観の大部分が親子関係の中で構築されることからも、世代を越えた対話と協力の中で、子育てをアップデートしていければ、個人単位の成長速度がかなり上がるのではないかと感じました。世代間の違いは客観的にみることで、「誰が悪いわけではなく、ただ世代の考え方が大きく違うのだ」と思えることから始まるのかもしれないと思いました。

インタビュアー:枝廣くるみ



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