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「カリブサンドだけは、今でもほんとうのまま」 by 『Neverland Diner――二度と行けないあの店で』

飯田が寄稿した『Neverland Diner――二度と行けないあの店で』が出版されました。

編集は都築響一さん、総勢100名の書き手には、平松洋子さん、いしいしんじさん、俵万智さん、村田沙耶香さん、大竹伸朗さん……と、とっても豪華で、濃い面々が連なっています。

「執筆者の中でいちばん無名なのは、自分では?」

という不安は、今でも拭いきれません。

でも、「恥ずかしながら、寄稿しました」とは言いません。個人的な"先生"との思い出を書いたのですが、今でも読み返すと胸がキュッと締め付けられて、この文章を最も味わえるのは自分自身だろうけど、少しはそのお裾分けができたんじゃないか、と思っています。

表紙画像からは分かりませんが、電話帳、いや鈍器と形容すべきか、かなり肉厚の1冊となっています。スマホの薄さが喜ばれる昨今に、「どんなもんじゃい」と存在感を放つこの本が、僕は大好きです。

「二度と行けない」理由は、人それぞれ。
100人のパーソナルな思い出が詰まった本書は、一気に読み通したくもなるし、夜な夜な1章ずつをちびちびめくるのも、捨てがたい。

上記の書誌ページでは、計8話の試し読みができますので、ぜひご覧ください。

そして、飯田が寄稿した「カリブサンドだけは、今でもほんとうのまま」については、こちらの note で全文公開します。
(版元のケンエレブックスさんからも了承いただいています)

本書、『Neverland Diner――二度と行けないあの店で』を手に取っていただく呼び水として、どれだけ貢献できるかは分かりませんが、切なく、ずっと大事にしたい自分の記憶を抽出したものなので、ぜひご覧いただければ幸いです。


「カリブサンドだけは、今でもほんとうのまま」

どこにあるのか、どんな名前だったか、自分はそこで何を食べたのか。
その詳細を、ほとんど覚えていない店がある。

でも、ひとつだけ、おぼろげな記憶の中ではっきりと輪郭を持ったイメージある。
ボリューム満点のサンドイッチを頰ばる、あさぐろの先生。
その料理は、たしか「カリブサンド」なんて名前だった気がする。

小学校高学年から、塾に通いはじめた。
特に勉強への熱心な思いがあったからではなく、「塾に通おうと思うんだ」という友達に連れられて通うようになったそこは、とても地味な場所だった。

駅の近くの、アパート2階。屋外に設置された階段を上ると2つの部屋があり、一方は先生の住居、もう片方が僕たちの教室。階段の覆いは、雨風と時の流れでボロボロになっていた。
外国人(おそらくアメリカ)と日本人を両親に持つ先生は、日に焼けていて、髪は少しカールし、その筋肉でTシャツを大きく膨らます、シュワルツェネッガーのような人だった。
塾の人数は、ひと学年に数人程度。その上、勉強がとても苦手だったり、学校でいじめにあっていたり、教師から「お前はもうどうにもできないから、あそこの塾へ行きなさい」と告げられた不良だったりが集うその塾は、子供心にも「ここは少し、異様だぞ」と感じ取れる場所だった。
僕は、目を見張るほどの成績ではないけれど、そこそこ点数は取れる子供だった。5段階評価の4を安定してゲット、という感じ。なので、へらへらとしながら要領よく立ち回る。そんなクセがついていた。

しかし、先生はおそろしいほど真っ直ぐで、〝やりすごす〞ことを許さない人だった。
ある日、宿題に手をつけずに塾へ向かった。たいした内容ではなかったし、遊ぶのにかまけてえんぴつを動かす時間がなかっただけだ。
まぁなんとかなるだろう、という心地で、申し訳ない表情をつくりながら宿題を忘れたことを報告する。すると、先生は静かに「なに」と言った。
先生が怒りに満ち満ちていることを、すぐに体で実感する。声を張り上げるでもなく、黙ったままだけど、ジリジリと部屋の気圧が下がり、息苦しくなっていく。

そして、
「飯田くんが、この塾で学び続けたほうがいいのか、よその塾に行ったほうがいいのか、隣の部屋で考えてくる。この部屋で、自習しながら待っていなさい」
とだけ言い残して、部屋を出ていった。

先生が生徒をやめさせる。今思えば、ありえない塾だ。
そしてまた、それは生徒をやる気にさせるための、たんなる脅し文句でもなかった。
事実、先生から通告されて去っていった生徒は何人もいる。その判断基準はシンプルで、「交わした約束を破った」ということ。泣きそうになりながら、先生の帰りを待っていた。先生は間を置いて戻ってくると、「もう一度だけ、やってみよう」と言って、その日の授業はいつものように始まった。

先生は、厳しくはあるけれど、無闇に人を怖がらせる人ではなかった。気前がよく、サービス精神もあり、僕たちをよく旅行に連れて行ってくれたことを覚えている。
スキー、海水浴、ディズニーランド。どこに行くにも、先生がレンタカーを借りて、塾の前に集合。それが、ルーティンだった。

そう、先生はルーティンを厳密に守る人だった。
特に覚えているのは、伊豆旅行。

先生は借りたレンタカーに、2枚だけCDを持参する。毎回、同じ2枚。サザンオールスターズと、加山雄三のアルバムだ。助手席に座った僕は、好きだったサザンばかりをかけるけれど、どうやら加山雄三がお気に入りだった先生に「飯田くん、サザンはもう終わり」とよく言われていた。
合宿場所も、いつも同じ民宿。
玄関先に大きな白い犬がいて、こちょこちょとくすぐるように撫でていると「大きな犬は、思いっきり撫でてやらないとわからないんだ」と言って、先生はその両手でブラッシングするようにガシガシと触っていた。
海水浴場もいつも同じ、そして、お昼ご飯を食べに行く場所も同じだった。

ああ、いったい、どんな店だったろう。
何度も行ったはず、何度も「またここだ」と思ったはずなのに、その外観やメニューがすっぽりと頭から抜け落ちている。
でも、先生がボリューミーなサンドイッチを食べていたことだけは、覚えている。カリブサンドだ。

「先生は毎年ここに必ず来るから、何も言わなくても量が倍になるんだ」

ほんとうに?
店員さんと親しげに話したところも見なかったし、注意深く食後のレジ会計を見ていたけれど、あっさりしたやりとりだった。
ただ、たしかに先生のサンドイッチは大きかった。周りを見渡しても、ひとりだけ倍増されたカリブサンドが皿の上にのっている。
今でもその言葉を完全には信じきれていないけれど、その光景と、先生が愚直に守る習慣のことを思うと、冗談だったと流しきれない自分がいる。

その、合宿でのことだった。

ある年、就寝前に先生も交えながらUNOで遊んでいた。そこで僕は、ほとんど自分の思い通りにゲームを進行させていたのに、最後の最後にしょうもないヘマをして負けてしまった。たかがカードゲームではあるけれど、負けず嫌いの自分はそれが悔しくて悔しくて、しょうがなかった。
その合宿の帰り道、耳に慣れてきた加山雄三を流しながら、僕は先生に「昨日の夜、ほんとうは自分の勝ちだったのになぁ」と話しかけた。心底悔しいと思っていることが伝わると恥ずかしいので、ちょっとはにかんで笑いながら、やれやれといった感じで。
すると、ついさっきまでニコニコとしていた先生がキッと真顔になって、「それは、違う」と強く言い放った。

「飯田くん、それは違う。〝ほんとうは〞なんて、ないんだ。飯田くんは、昨日ゲームで負けた。それが、ほんとう。実際に起こったことだけが、ほんとうなんだ。〝ほんとうは〞なんて、ないんだよ」

思わず、ひるんでしまった。ふざけた調子で放った言葉に、そんな真正面から、こちらを見据えるように断言されるなんて。
恥ずかしくて、みじめで、そんな気持ちが露呈しませんように、と願いながら帰路に着いた。

今でも、こんなはずじゃなかった、と苦々しく思うときは先生の声が聞こえてくる。
「飯田くん、起こったことだけが、ほんとうなんだ」と。

大人になってからこそ、先生のことをよく考える。
人との約束に対して真剣だったこと、絶対に変わらないルーティン、車中でキッパリと言い放たれた言葉、たっぷりのカリブサンド。
思い出そうとするのに、とても断片的な記憶しか引き出せないことに、ちょっと情けない気持ちになる。先生が連れて行ってくれる場所、教えてくれることを、僕はのほほんと受け止めるだけだった。

それでも、先生に投げかけられた言葉のいくつかは、いまだにトゲとなって僕の体に刺さっている。今でも痛くて、そして、とても大事にしているトゲ。

一緒に過ごしたはずの、たくさんの時間。
その多くはおぼろげだけど、それがとても大切な日々だったことを、僕は今さら確信している。

あの、二度と行けない店のカリブサンド。

名前も場所も記憶の澱に溶けてしまったけれど、肉厚のサンドイッチを頰張る先生の姿は、僕にとって、とても、ほんとうの光景のままだ。


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