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あなた、まだ毛があるの?【エッセイ部門応募作】

「髪の毛以外、ぜんぶムダ毛」

その看板を目にしたのは、意識が飛びそうなほど暑い夏の日。額に流れる汗を拭き、私はボーっとその言葉を頭の中で繰り返す。

カミノケイガイ、ゼンブムダゲ……


あまりのパワーワードに、身体中の毛根が震えあがる。

夜になると、どの店を選ぶか迷うほど活気あふれる居酒屋が並ぶ駅前商店街。しかし、昼間のうちは、どの店もシャッターの瞼を下ろして眠りについていた。

そんな飲み屋街の中にポツンと、その店はあった。どうやらメンズ脱毛の店らしい。

ムダ毛と向き合うのは面倒だ。特に春から夏時期になれば、冬の間は衣服に隠れて冬眠していたムダ毛たちをどうにか処理しなくてはならない。

脱毛店は、まさにこの時期が集客の勝負なのだ。

面倒だとはいえ、専門店で施術してもらう発想が、これまでの私にはなかった。ところが、この日を境に私の頭には“脱毛”という意識の小部屋が誕生するのである。

看板は、おおいに役目を果たしたのだ。

***

「ヒゲ脱毛に通おうと思う」
ある日突然、主人はそう私に宣言した。

タイムリーにその話が出たせいで、「もしかして髪の毛以外、ぜんぶムダ毛?」と、サッパリ意味の分からない返しをしてしまう。

数日前に見た看板の衝撃は、それだけすさまじかったのだ。てっきり、主人も同じ看板を目にしてヒゲ脱毛を決めたのかと思った。

しかし、彼のヒゲ脱毛への思いは、私がこの数日で感じた突発的で興味本位なソレとは違っていた。もっと昔からあった根深い悩みを解決する画期的な手段だったのだ。

「オレ、肌弱いやろ?」
「うん」
「できればヒゲは毎日剃りたくないんよ。カミソリ負けするから。」
「そうだね。会社があるからしょうがないけどね。」
「休日も出来れば肌の為に、ヒゲ剃りをあてたくないところやねん。」
「分かるけど、オジサンの不精髭はだらしなく見られることもあるよね。」
「やろ?だからヒゲ脱毛やねん。」

分かる。
ものすごく分かってしまう。

肌が強い私でさえ、ムダ毛処理は面倒で避けたい作業だ。それに加えて肌が弱くて毎日ヒリヒリ痛いとなれば、それは脱毛も考えるだろう。

しかし問題は値段だ。


「で、いくらくらいかかるもんなの?」
「12万」

食い気味に回答してきたその姿勢にも、主人のヒゲ脱毛に対する並々ならぬ決意がうかがえる。

「12万か……。」

数秒間があって、私の表情から全てを察した彼が話し出す。

「こういうのって、1回で終わらへんねん。レーザー当てて徐々に薄くなっていくもんやから。」
「んでな、医療脱毛と美容脱毛があってな……」

こちらは何も質問していないのに、まるで脱毛店のスタッフのように手順やメリット、しまいには割引クーポンのことまでが饒舌に語られる。

かなり調べたであろう様子からして、ヒゲ脱毛を開始するのは主人の中で既定路線のようだ。

それでも黙っている私に、


「お小遣いから分割払いでお願いできませんでしょうか?」


と、彼に出来る最大の打開策を提示してきた。

ちなみに我が家では給料の1割を主人のお小遣いと決めている。(35万円の給料と仮定すると小遣いは3万5千円)。その方が後々昇給した時もモチベーションになると考えたからだ。

主人の提案では、お小遣いの中から毎月1万円弱をヒゲ脱毛分割払いとして家計に返金するらしい。

主人はジム通いもしており、それもお小遣いからなのでヒゲ脱毛分割とジム費用を差し引くと、雀の涙ほどしか残らない。要するに、むこう約1年、主人は勤労で得た自由に使えるお金を筋肉とヒゲに捧ぐのだ。

それでもやりたい!!と。
彼の脱毛への決意は固かった。

「例えばなんやけど、毎日俺のヒゲを剃るのを仕事にする人がいるとするやん?その人への一生分の給与+カミソリ代+肌への負担を考えたら、今後ヒゲの苦労が12万でなくなると思ったら神コスパやない?」

しまいには、空想の“主人のヒゲ剃りを生業にする人”まで出てくる始末。えぇい、分かった!!お小遣いの中でやるなら、もう私は何も言うまい。

こうして我が家の脱毛は始まった。


長年悩んできたヒゲの悩みから解放されるとあって、初回の皮膚科へ行く主人の足どりは軽かった。

「楽しみやな~。1回でどれくらい薄くなるんやろ。」ニヤけ顔を隠すことなく出かけていく。

しかし、そんな表情が一変。帰ってくるなりテカテカに光った顔で主人は喋りまくった。

めーーーーーーっちゃ痛かっってん。

珍しく大きい声を出す主人に、子供達はゲームの手をとめ、顔を覗き込む。「父ちゃん、顔ベタベタやん、気持ち悪っ!!」

私が心で思っていた言葉をド直球で小2の娘は言った。

「これな、炎症止めの薬がついとんねん。しかも、これから陽に焼けたらあかんみたいで日焼け止めも毎日塗らなあかんらしい。冬に始めれば良かったわ。」

そう、ブツブツ言って洗面台に向かう主人は日焼け止めを上から塗って、さらにベタベタになって帰ってきた。

「あんな~、よく芸人がゴムを口で引っ張ってパッチーンってするやつあるやろ?あれが1000回くらい続く訳や。」

熱がこもった口調で痛さを表現してくるが、主人のベタベタな顔が気になりすぎて話が半分も入ってこない。

「痛すぎて涙がツツーって頬に流れるのが分かんねん。泣いとる訳やないで。痛すぎて涙が自然に滲むねん。」

40前のオジサンが涙するのだ。
相当痛いのだろう。

「次からは痛さ紛らわす為にタオル持ってって握りしめよかな。」と、1回目が終わったばかりなのに次回の心配までしている。

さらに、「この痛みに耐えられず、1回で辞めた人はいますか?」とも聞いたらしい。

1人もいません。
って……

当たり前だ。

“誰が何と言おうとヒゲ脱毛をする”勢いだった勇ましさはどこかへ消え、気弱になったテカテカ光る主人を前に、もう笑うしかない。

***

我が家のヒゲ脱毛デビューから約1ヶ月後。私は久しぶりに幼なじみと再会した。

その場で、幼なじみの口からVIO脱毛を検討中との話題が出る。まさに今、私の周囲で脱毛がアツい。

話を要約すると友人は職業柄、訪問介護での入浴やオムツ介助の機会が多くあり、その際に下の毛があるかないかで時間的にも本人の衛生的にも差が出るというのだ。

これはまさに目からウロコ

また、友人に教えてもらって驚いたのだが、白髪になってからでは、レーザー脱毛は効かないらしい。

要するに、数十年後にやってくる介護の為のVIO脱毛を白髪になる前の若いうちに考えなくてはいけないという。スゴイ時代がきたものだと、これまた衝撃だった。


最近、急に脱毛について知識を得た、ひよっこの私にはVIOの言葉さえ、しっかりと学んだのは初めてだ。

ネットで調べると

VIOとは、Vゾーン(恥骨上部の下着で覆われている三角形のゾーン)、Iゾーン(陰部の両側)、Oゾーン(肛門周辺)のデリケートゾーンのこと

Panasonic「UP LIFE」記事より

なるほど。
実に画期的なネーミング。

皮膚科の受付で「〇〇の毛を処理したいです。」と言うのは実に恥ずかしい。しかし、この言葉があれば「Vをお願いします」と、まるで秘密結社の合言葉のように伝え、敵に知られることなく決行できる。

商業的にもかなり効果を発揮しているのではないか!!と、そんなことに感動さえ覚えた。


しかし、一旦冷静になろう。

いくら受付でVサインを送ったところで、イザ施術となればデリケートゾーンの披露は不可避だろうし、主人の話では、それに加えゴムパッチンなのだ。効果はあっても、なかなかハードルが高い。

ちなみに、V脱毛を検討している友人曰く、完成時のデザインにも色々あるらしい。

・全く毛の無い状態
・楕円形
・トライアングル
・Iライン…など

友人はIラインを検討しているようで、一番分かりにくいIラインの形状を尋ねたところ、

簡単に言えば味付け海苔。

と。

その例え方よ……

久しぶりの再会にも関わらず、VIOを話題に幼馴染アラフォー3人は学生のようにケタケタ笑う。

***

それから数ヶ月。

主人は6回の施術を終え、だいぶ薄くなったものの、完全にヒゲ卒業とはならなかった。追加で施術するかを、自分の小遣いと会議中らしい。

とはいえ、やはり効果は絶大で、毎日だったヒゲ剃りは3日に1回で済むようになったそう。

「ヒゲ脱毛でQOL爆上がりや。」

普段使わない横文字でヒゲ脱毛の魅力を興奮気味に語る夫。その表情は、痛みに耐えて6回の施術を終えた自信に満ちあふれている。

テカテカの顔で弱音を吐いた日を思い出させてやりたい。

よほどヒゲ脱毛の効果に満足したのか、「一度毛が薄くなると、脇もスネも全部つるっつるにしたくなるんよね。」とまで言い出した。

「毛にいくら使うの?」
と、娘に一瞥されたわけだが。

「そいえばさ、友達から聞いたんだけど、白髪になったら、その部分にレーザー効かなくなるらしいよ。」
「えっ!!マジで?」

最近頭の白髪を気にする夫が慌てる。
「そらヒゲ脱毛も、急がなあかんな〜。」


その夜。
風呂場で1人、脇の下にカミソリをあてながら「脱毛したらQOL爆上がりすんで。」という昼間聞いた主人の言葉を思い出す。

このムダ毛処理が一生なくなるのか……。

同時に「一度毛が薄くなると、脇もスネも全部つるっつるにしたくなるんよね。」の言葉も頭をよぎる。その言葉はまさしく、暑い夏の日に飛びそうな意識の中で見た「髪の毛以外、ぜんぶムダ毛」を連想させた。



カミソリをスネに移動し、短くツンツン主張する毛を私は丁寧に刈る。

せっかく湯船で暖まった身体が、ムダ毛処理のために冷えていく。そんな私を笑うように、あの看板は語りかけるのだ。

「あなた、まだ毛があるの?」

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