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手洗いの歴史

こんばんは。ハッシーです。

ハッシーの歴史の時間。

今日のテーマは「手洗いの歴史」について。


新型コロナが流行していて、皆さん手洗いを徹底していると思います。

今でこそ当たり前になっている手洗いですが、実はほんの150年前まではそうではなかったんです。

むしろ非常識だと思われていました。

これって結構意外ですよね?

それはなぜなのか?

それまで病原菌の存在が明らかになっていなくて、

「医師の手が汚れているはずがない」という考えが主流で、手術前でも手洗いの習慣がなかったそうです。

そんな医学界に手洗いの概念を世に広めようと、自分の人生をかけた1人の医師がいました。

彼の名は「イグナーツ・ゼンメルワイス」。

ハンガリー出身の医師で、ウィーン総合病院で産科医として働いていました。

ウィーン総合病院には第一産婦人科と第二産婦人科があって、第一産婦人科では多くの妊婦が産後に原因不明の発熱で亡くなっていたそうです。

一方で第二産婦人科では被害がほとんどなかった。

この差に疑問を持ったゼンメルワイスは、2つの産婦人科の違いを探そうとしました。

そして遂にある事をきっかけに手がかりを見つけたのです。

彼の友人の医師が解剖中に自分の身体を傷つけてしまい、その後合併症を起こして亡くなってしまいました。

その症状が発熱した妊婦達と似ていたことから、4つの事実に気づいたんです。

その事実とは

・第一産婦人科では医師が、第二産婦人科では助産師が分娩を行っていた。

・医師の診察回数が多い妊婦ほど、発熱の症状が出ていた。

・解剖をしていた医師がそのまま分娩に関わることがあった。

・解剖室から出てきた医師の手に酷い臭いが付着していた。

以上の事からゼンメルワイスは解剖によって手に付着した何かが原因ではと仮説を立てました。

解剖で付着した酷い臭いを綺麗に洗い落とせば、原因を取り除けるのではと考えたんですね。

それからゼンメルワイスは手の消毒法を生み出して、手洗いを徹底させたことで、被害を減らす事に成功しました。

この時、医師が手洗いをすれば発熱を予防できると確信しました。

でも残念ながら彼のこの考えは周りに浸透しなかったんです。

彼の考えを認めてしまうと、今まで患者が亡くなってしまったのは自分達のせいだったと認めた事になるから。

だから支持されなかった。それどころか彼自身がとっつきにくい性格もあって、周りから敬遠されて病院からも追放されてしまいました。

ゼンメルワイスが病院を去って、手洗いが徹底されなくなると、再び被害が増えてしまいました。

病院を追放されてその後彼はどうなったのか?

諦めずに感染症予防のために一人で動き続けていました。

今度は手洗いだけでなく、手術器具や病室の洗浄まで徹底しようと働きかけました。

それでも最後まで周りからの支持を得る事ができず、精神を病んでしまい、精神病院で志半ばで亡くなってしまうんです。

自分が正しいと信じてきた事、患者を救うために必死に働きかけてきた事が全く支持されずにこの世を去ってしまったゼンメルワイス。相当辛かったと思います。

彼が生涯をかけて広めようとした手洗いは、彼が亡くなってから10年以上経った後にやっと普及し始めます。

彼と同じように手洗いと器具の洗浄を徹底する事で、病気の被害を激減させた医師が現れたんです。

その医師が当時ゼンメルワイスが発表した論文の正当性を主張した事で、やっと彼の学説が世間に認められるんです。

できればもっと早く認められて欲しかったですよね。

もっと早く認められていれば、ゼンメルワイスの人生は違ったものになっていたはずです。

ゼンメルワイスは自らの力で手洗いを広めることは出来なかったけれど、現代で多くの方が安心して出産できること、感染症に対して正しい対応ができることは間違いなく彼のおかげだと思います。

彼の行動のおかげで助かった命がたくさんあるんです。

以上手洗いの歴史でした。

ではまた次回。


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