都合の良いシナリオ・悪いシナリオ
こんばんは
先日初めて家族でディズニーに行ってきました。
独身の頃とはまた違った観点で楽しめてよかったです。
※イッツアスモールワールドは最高の休憩場所だとわかった笑
せっかく最近youtubeで動画の勉強を始めたので、家族の思い出もGoProで撮ってPremierProでカット編集だけして妻に渡してみたら、大変喜んでくれました。
こうやって味をしめて、パパはハンディカムなどを買って沼っていくんだと納得しました。笑
その影響でディズニーロスが強くなり、動画を見るたびにセンチになり子供達が大きく成長してることも感じて、今週は家に帰るなりなんだか愛おしくてしかたなくて、この瞬間は一瞬で、噛み締めて大事にしたいなぁと何年か先の未来から子供達の小さい頃に会いにきた人間のような感情を抱いてました。(意味わかんないですよね)
なんでも終わりがあるということは、わかっちゃいるけどそれを具体的にはイメージできないものだと思います。
私自身も去年までそうでした。
母が2020年12月に60歳で他界したことで、時間は有限・かつ前触れなく突然終わりはやってくるということを最後に教えられた気がします。
親孝行をすればよかった。って亡くなった直後は私も自分を責めてましたが、母親からしたら働くようになって、結婚して、孫の顔を見ることができて、もしかしたら充分だったかもしれません。
もちろんこの先を生きたかったに決まってるし、この先の未来も見たかったに決まってるけど、後悔だけ残って去っていったとは思わないし、残された私たち家族も足りないものばかり過度に数えすぎない方がいいなって思いました。
自分が能動的にしたこと=親孝行って思ってましたが、意外と私たち子供達は生きてるだけで親に希望を与えてたりするんじゃないかなって親になって見て思いました。
一番の反省点は
自分にとって都合の良いシナリオ・悪いシナリオ
どっちに転んでも最終的に納得できる行動をすべきだった。
母の場合はステージ4の癌でも本人が治す気持ち満々で、なんだかほんとに治してしまうんじゃないかと期待をして、私が悪くなる(最悪死に至る)ことを想像することから逃げでいました。
そのため病気がわかった翌週に実家に帰った際に、平日に母と姉で日帰り温泉にいくのを見送ってしまい、私はまた土日のどこかで時間を見つけて休みの日に一緒にいこう。と先送りにしてしまったんです。
結局そこから容体は急変していき、とても日帰り旅行なんて行ける状況ではなくなってしまったのです。
行けばよかった。というただの後悔ではなく、結果的に行けなかったとしても、自分にとって不都合なシナリオを考慮し、これがほんとに最後になるかもしれない。と理解した上で選択すべきだった。
もちろん悪いことばかり考えても気が滅入ってしまうし、希望を持って生きることも重要。
私的には楽観的・悲観的どちらも持ち合わせていることが大事なんじゃないかな。ということがいいたかったし、多分その方がその時の選択に納得できるのではないかと思った次第です。
今日はなんだか長くなってしまいましたが、今日も生きてることが嬉しいです。サンキューお母さん。
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