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『轍』Lev.2 前言撤回Vol.1


現在進行中の壮大な道路事業

以前、関越道と首都高がつながっていない問題を取り上げたことがある。

関越道がぷっつりと途切れる練馬区三原台の地。この間久しぶりに目白通りで練馬ICまで走ってみたが、独特な雰囲気がある。
他の高速道路のように首都高を辿っていけば辿り着く“1”のICとは違い、目白通りのど真ん中に突然現れる。

練馬区三原台の練馬IC
(東京都練馬区 2023年5月28日撮影)

関越道が孤立状態だと言われる所以は、そんなことだったりする。

大物に化ける前の姿

関越道が一体どんな歴史を歩んできたのか。
開通日翌日(1971年12月21日)の埼玉新聞「県庁コーナー」にはつぎのような記載がある。

ますます悪化する交通事情を緩和するため、東京・川越自動車専用道路(将来の関越自動車道)が、きのう開通しました。
この道路は、東京都練馬区から本県に入り、新座市、所沢市、三芳町、大井町を経て川越市の十六号国道に至る二十一・四㌖で本県ではじめての高速道路(最高制限時速八十㌔)です。

埼玉新聞1971年12月21日 第3面「県庁コーナー」より引用

そう言えば同じ埼玉新聞でも、外環道埼玉区間開通時の新聞記事は見開き何頁のレベルで取り上げられていた。
それに比べて、関越道の第一号である東京川越道路開通時は何だか見劣りする。

自動車道の無かった谷川岳にトンネルが掘られ、上越国境の交通に革命をもたらしたのも同じ関越道だが、レベルが違いすぎる。
川越街道のバイパス」としての開通は、道路公団絡みとは言え結構ローカルな話題なのか。

“首都高出口”に隠された過去

実は、関越道は首都高と接続する筈だった。

文京区関口、新目白通り沿いのラーメン店
「大王ラーメン」
(東京都文京区 2023年5月21日撮影)
新目白通り・江戸川橋交差点
(東京都文京区 2023年10月14日撮影)

練馬ICから高速道路に直接お目にかかることなく走り、新目白通り終点の江戸川橋交差点に近づくと、首都高池袋線の音が聞こえてくる。

文京区関口の目白通り沿いにあるラーメン店『大王ラーメン』。太麺に若干濃いめのスープが絶品の醤油ラーメン、チャーシューをキャベツに絡めてタレをかけて食べるメニューが大好きで、時々訪問する。
東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅がある江戸川橋交差点から歩いて15分少々。東京に戻ると常に意識する店舗だが、昨年10月の訪問時はちょっと特別な機会だった。

池袋線・早稲田出口
(東京都新宿区 2023年10月14日撮影)
裏路地から早稲田出口を眺める
(東京都新宿区 2023年10月14日撮影)
江戸川橋交差点付近から早稲田出口を眺める
(東京都文京区 2023年10月14日撮影)

“下り方面の出口のみ”で、上下線の入口もない。池袋線・早稲田出口は新宿区「鶴巻町」交差点に直結する形で存在している。
竹橋JCT方面から来ると2つ目の下り線出口となり、利便性的には問題はない。

ただ、何かワケありな空気は感じる。
反対住民との戦いの末、烏山シェルターを被せる事と、もう一つ「高井戸入口の建設を見送る」条件で新宿線との接続にこぎつけた中央道と何か似ているのだ。
関越道の開通(1971年12月20日)中央道・新宿線接続(1976年5月18日)で時期は何となく重なる。この頃の道路建設は沿線環境を巡る問題で難航を極めていた。

池袋線の悩み

5号池袋線は1967年3月に竹橋JCT・西神田間が開通、その後は1969年に西神田・北池袋間、1977年8月に北池袋・高島平間が開通。
高島平から埼玉大宮線終点の与野までは国道17号新大宮バイパスの専用部で、高速道路では大宮方面から都心へ真っ直ぐ抜ける唯一の路線である。

江戸橋・竹橋JCTの渋滞
渋滞情報は「神田橋→代官町 断続渋滞2km」
(東京都中央区 2023年1月3日撮影)

問題になったのは、早稲田JCT(仮※以後省略)から上り、竹橋JCT方面ではないか。逆に江戸橋JCTからの下りは、神田橋JCT(×八重洲線)と竹橋JCTが右合流、右分岐で渋滞するが、現状板橋JCT方面への車が早稲田JCTで関越道方面へ流出するだけだから現状と変わらないはず。

上りは竹橋JCT→神田橋JCT(×C1左合流)と2連JCTになっていて、5km手前とは言え早稲田JCTからの流入を考えると、交通量次第では池袋線全体が渋滞する可能性も否定できない。

               Vol.2へ続く

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