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『轍』Lev.4 東埼玉道路完成後の未来Vol.1


国道4号(首都高終点〜春日部市)

東京外環自動車道、略して「東京外環」は都心から15km圏を環状に結ぶ幹線道路。
2017年6月に三郷南ICから市川市の高谷JCTまで開通した際には関越、東北、常磐、京葉道路、東関東の高速5路線が繋がった事が大ニュースとなった。

ただ、東京一極集中傾向が強い中で東京へのアクセス性が重要視され、東京近郊の高速網もそこを意識して構築されたように思う。
関越道と京葉道路を除いて、外環道を境界線にして首都高が始まる。川口JCTからは川口線、三郷JCTからは三郷線、高谷JCTからは湾岸線と言うように。

ネットワークを眺めてみると、三郷線は向島線経由、川口線は江北JCTからC2、向島線経由で江戸橋JCTへと繋がる。
都心にある江戸橋、箱崎、両国の3JCTは複数路線が集まる事で渋滞の名所だが、実は江戸橋JCTから北へ延びる一本の短い路線がある。

昭和通りと首都高上野線
(東京都千代田区 2023年11月25日撮影)

国道4号が通る昭和通り上を走り、終点はJR上野駅の先、台東区入谷。首都高1号上野線で、江戸橋JCTと入谷出口を結ぶ短い路線だが、出口以北の国道4号こそが今回のテーマなのだ。

首都高・入谷出入口
(東京都台東区 2024年2月17日撮影)
入谷出口前の歩道橋から国道4号を眺める
(東京都台東区 2024年2月17日撮影)

首都高はそこで途切れ、国道4号はそのまま千住、草加を経て新国道4号の起点、越谷市へと向かう。
東西を貫き、東北道や常磐道へと繫がる中央環状線や外環道のICは一箇所づつあるものの、南北の高速道路は国道近辺には無く、栃木県矢板市まで100km以上空白地帯となる。

国道4号ほぼ直結の千住新橋入口(外回り)(東京都足立区 2024年5月26日撮影)
千住新橋入口(内回り)
(東京都足立区 2024年5月26日撮影)

外環道周辺に広がる工業地域

東北道と常磐道に挟まれた5市1町

首都高上野線には実は、C2までの延伸計画があった。現在の江北JCTに近い、足立区本木付近で繫がる筈だったが、現在に至るまで事業化すらなされていない。

外回りへのオンランプと内回りからのオフランプ接続を想定したイカの耳
(東京都足立区 2024年5月26日撮影)
外回りからのオフランプと内回りへのオンランプ
(東京都足立区 2024年5月26日撮影)

下町の首都高 高架下に住宅
1号上野線延長へ計画案
建設の準備をしているのは、首都高速1号上野線の入谷出入路から北上して中央環状線に接続するまでの約五・四㌔。東京都の台東、荒川、足立の三区にまたがる。一帯は住宅が密集する下町で、借地に立てた住宅が多く権利関係も複雑なため、用地買収が困難な地域。

朝日新聞夕刊(1992年12月24日木曜日)1面より引用

同公団の計画は、道路の高架の高さを通常の二倍程度の約二十㍍とする。市街地再開発事業によって高架下に中層のマンションを建てるほか、高架の上には道路を跨ぐ形でテナントビルも建て、道路建設地周辺の住民や店舗はすべて、等価交換で入居してもらう。

朝日新聞夕刊(1992年12月24日木曜日)1面より引用

仮に上野線がC2までつながっていたと仮定し、江戸橋JCTを起点に東北道と常磐道への道筋を考えて見ると、外環道に近づくに連れて2路線の距離は徐々に離れていく
具体的には八潮市草加市吉川市越谷市春日部市そして松伏町のエリア。

2つの国道4号
(埼玉県越谷市 2024年5月26日撮影)
下間久里交差点方向から春日部方面を眺める
(埼玉県越谷市 2024年5月26日撮影)

越谷市より北、松伏町や春日部市には新4号国道があり、街中を貫く国道本線に対するバイパス機能を果たす。制限60kmを大幅に上回る速度で流れる有名なバイパス道路で、栃木県宇都宮市まで80kmにも及ぶ。
南北の高速道路がないそのエリアにとって、国道4号と新4号国道は生命線であり、分岐する県道や農道によって国道から離れた吉川市や八潮市へのアクセスも担われてきた。

町政施行前後の八潮

八潮市は1964年10月1日に八潮村から八潮町となった。その日の広報誌『八潮だより』は「町政施行記念特集号」と銘打ってあり、次の様な記述がある。

八潮町を縦断する産業道路
昭和三十一年九月、八潮村発足以来商工業の村内進出が相当多く見られ、とくに昭和三十四、五年頃よりは集中的に諸工場の進出があり県においても工業用水の必要性を強く認め、埼玉県商工部が主体とする東部第一工業用水道事業実施を決定しました。

『八潮だより』昭和39年10月1日 3面より引用

外環道がやってくる25年以上前、更には「第二4号(旧建設省の資料の表記)」、現在の新4号国道の着手すらされていない(起点の越谷市上間久里から庄和IC間は1976年に暫定2車線で開通)。
そんな時代の八潮は既に産業地域となっており、そこから工業用水事業と一体化した産業道路整備が始まっていく。

これに伴い当地域においては本事業に努力すべく産業道路を計画し越谷市を起点と致し草加市を経て八潮村を南北に縦断、東京都市計画道路一〇九号路線に結ぶ総延長一五、四五〇㍍幅員十六㍍の産業道路の計画実施に至り、併せて道路下に工業用水の本管の埋設をなし、県の方針に協力致し、ひいては四号国道のバイパス的要素をもちこれが完成のあかつきには都市と直結はもとより京浜工業地帯あるいは京葉地帯と結ぶ最も重要な路線であります。

『八潮だより』昭和39年10月1日 3面より引用

ここで出てくる「産業道路」とは埼玉県道115号越谷八潮線の事で、外環道下の国道298号とは「草加産業道路」交差点で交わる

草加産業道路交差点
(埼玉県草加市 2024年5月26日撮影)
工業用水事業で利用された古綾瀬川
(埼玉県草加市 2024年5月26日撮影)

東京都市計画道路109号路線は、産業道路の南端(足立区神明3丁目)から台東区浅草7丁目を結ぶ道路。

同時期の草加市

西側の国道4号草加バイパスは1967年12月に草加市内が全線開通したが、その頃には草加市もまた八潮市と同様に工場進出が進んでいたようだ。

草加バイパスによって、草加市中心部を通過する車両は一時的に減少傾向になったが、まもなく車両数は草加バイパスさえも渋滞となるほど増加するようになった。
戦前から草加市域は交通、特に道によって多くの恩恵を得ていた。昭和四十年県が設置した草加工業団地には、多くの企業が入居し、道路の確保が急務であった。
そのため、工業団地を中心とする南北に走る新道(産業道路)が造成された。

『草加市史資料編5』441頁より

草加産業道路の終点は越谷市下間久里で、新4号国道との交差点付近。国道4号を避ける形で八潮や草加、更に隣の足立区方面からの交通をカバーする役割を期待されていた。

矢印の先には「新4号バイパス」とある
(埼玉県草加市 2024年5月26日撮影)
青看板には「東京」とある
八潮市を南下すると東京都足立区へ入る
(埼玉県草加市 2024年5月26日撮影)

ただ、草加市や八潮市を含む外環道埼玉区間が1992年に開通。産業道路沿線にはその後も物流拠点などが増えていき、片側1車線の幹線道路も手狭になっていった。
首都高上野線のC2接続は実現しなかったが、実は外環道接続の新路線建設の動きがある
高速道路ネットワークを眺めてみると、越谷市全域、吉川市の一部と松伏町へのアクセスは外環道のICが担う。しかし更に北、春日部市や隣の千葉県野田市はきれいに空白地帯のまま

建設中の新路線は、外環道からJCTで分岐し、空白地帯を縦断して最終的には春日部市内の新4号国道(第二4号)と接続する。
ほぼ千葉とも言える県東部の交通に革命をもたらす道路、「東埼玉道路」である。

                 つづく

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