見出し画像

「天皇制」は「詰んだ」のか(1)

 小室圭さんと眞子さん(秋篠宮家)の結婚と、それに伴って行われた記者会見について、さまざまな意見や感想がネット上に満ち溢れている。


 意外に多いのが、現行憲法下での「天皇制」のありようにまで言及する意見だ。曰く「今上陛下で終わりにすればいい」「愛子さまに継承して、それでおしまいでいい」――。もはや「男系天皇」「女系天皇」論争を超えた部分で、現行の天皇制そのものに対する異議が出始めているのだ。

 果たして「天皇制」は「詰んだ」のか。少し考えてみたい。

上皇陛下のお心の先にあるもの

 まずは、上皇陛下が譲位を発表された2016年8月に、Facebookに投稿した拙文を掲げる。少々長いが、前文引用する。

今日の午後3時、天皇陛下の「お言葉」を、放送を通じて聞きました。事前にさんざん報道されたように、いわゆる「生前退位」の御意向を表明される機会だと思っていましたから、ぼくの関心はむしろ、陛下がどのようなお言葉でそれを表現されるのか、にありました。
虚心坦懐に聞いたつもりです。陛下は言葉を厳選し、あくまで自らの問題として語っておられたようにも思います。様々な思いを、法的な制約ぎりぎりのところで言葉にし、国民の理解を求めたい、と。
「お言葉」のなかで、いわゆる「天皇の高齢化」についての部分は、昭和天皇ご不例から崩御、大喪の礼に至る、今上陛下ご自身のご体験がそもそもあるように思いました。ご自身が余人に代え難いご経験をしながら、なおも28年前当時の日本社会を、国民を冷静に観察されていたのだな、と感じました。そしてご自身が昭和天皇の御歳に近づきつつある今、昭和の終わりと同じではいけないのでは、というお考えを強くお持ちなのだな、と推察した次第です。
ただぼくが何よりも慄然としたのは、「国民の理解を得られることを,切に願っています。」という結句は、私たち国民だけに向けられたものではない、と途中で思ったことでした。理解を求める、いや最も理解を求めたい相手への、陛下の強烈なメッセージなのではないか、と。
その相手とは皇太子ご夫妻ではないか、とぼくは考えています。
陛下は「お言葉」の前半で、陛下なりの天皇のあり方、公務のあり方、皇室のあり方についてかなり詳細に語っておられます。それは陛下が、おそらくは皇太子時代から真剣に考え、実行されてきたことをお話になったのだと思います。
ただ今回の「お言葉」の内容で、日本国憲法第7条で規定されている10の国事行為については「国事行為を行うと共に」としか触れられていません。陛下が多くの言葉を割かれたのは、第1条の「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」としてどうあろうとし、どう歩んできたかということです。引用が長くなりますが、
「私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行なって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。」
でもこれらのことは、おそらく多くの国民なら、すでによく知っていることだと思います。両陛下は常に国民の声に耳を傾けようとし、国民の、特に様々な理由で苦しい立場にある国民の心に寄り添おうとされてきた。好き嫌いや天皇制の賛否を超えてなお、このことを知らない国民はいないと思います。
だからぼくが「お言葉」を聞きながら感じ、時にうーんと唸っていたのは、陛下ご自身の「生前退位」そのものについて「国民の理解を得る」のではなく、陛下のこれまでの象徴としてのありようを国民に改めて理解して欲しいというお気持ちと同時に、特に皇太子ご夫妻に対して公の場で、いずれ即位することになる象徴天皇の存在意義について理解して欲しい、というご意志の存在なのです。
「お言葉」の中にもありましたが、仮に憲法上の規定通りに摂政を置くようなことがあっても、結局天皇は天皇のままで崩御することになり、次代がどうなるかを知ることはできません。ぼくが勝手に推察するに、陛下は次代以降、少なくとも次代の「象徴天皇」のありように対して、いささかの不安を覚えられているのでは、と思います。ならばこれまで体現してきた、陛下なりの「象徴」のありようが次代にも引き継がれるかどうかを、その目でお確かめになりたいのではないか。今上陛下にとっての象徴天皇とはこういうものであった、そのありようは国民が理解してくれた、ならば次代の天皇もそうあってほしいが、心もとない。そこで「生前退位」のお気持ちをにじませることで、国民の理解のもとでの象徴天皇が引き継がれていくことをしっかりと見届けたい。
本当に勝手な想像なのですが、ぼくは「お言葉」を聞きながら、そんなことを思っていました。
あとは、私たち国民それぞれが考える番です。憲法では「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」わけですから。

 上記引用の中盤から後半にかけて述べている、

「陛下が多くの言葉を割かれたのは、第1条の「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」としてどうあろうとし、どう歩んできたかということ」

「陛下は次代以降、少なくとも次代の「象徴天皇」のありように対して、いささかの不安を覚えられているのでは、と思います」

「陛下なりの「象徴」のありようが次代にも引き継がれるかどうかを、その目でお確かめになりたいのではないか」

 という部分、これを書いた段階で意識していなかったのでが、その後いろいろと考えて、結局は憲法第1条の問題に行き着くことが見えてきた。ここに憲法第1条も引用しておく。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 私は、上皇陛下や今上陛下が意識しているのは、この条文の「日本国民統合の象徴」にあると思っている。というのも、「日本国の象徴」としての天皇の行為は、第6条の総理大臣・最高裁判所長官の任命と、第7条の10の国事行為という形で明文化されているが、「国民統合の象徴」については明確な規定がないからである。それは明確な言葉ではないものの、上記引用の中の上皇陛下のお言葉ににじみ出ている。上皇陛下は「国民統合の象徴」のありようを、おそらくは生涯かけて考え、実行し、それを今上陛下に託したと考えるべきで、上記引用で私が、皇太子殿下(今上陛下)に向けたメッセージなのだ、という文意もここにある。重ねて言うなら、「国民統合の象徴」は天皇、そして皇族が自ら考え、体現し続けなければならないことなのである。(つづく)


 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?