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「天皇制」は「詰んだ」のか(2)

(承前)さて、前稿の続きである。

不毛な「男系天皇」「女系天皇」論

 今後の皇室・天皇制のあり方については、20年近く前からさまざまな形で議論されてきた。それは皇位継承について、皇室典範第2条・3条が重くのしかかってたからである。引用する。

第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。

 御承知の通り、最大の問題は、皇族の中に「男系の男子」が極端に少ないことにある。現在、上皇陛下と今上陛下を除けば3名しかおらず、その3名だけが皇位継承権を持っている。そして今後「男系の男子」にこだわるならば、現在皇位継承順位3位の悠仁さまに将来、男子のお子様を望むしか方法がない。(現在の皇位継承順位は①秋篠宮文仁親王 ②悠仁親王 ③常陸宮正仁親王)もし悠仁さまがご結婚後、男子に恵まれなかった場合、皇統はここで「詰んで」しまう。

 一方、「女系」を含めるとなるとどうなるか。当然、今上陛下の長子である愛子内親王が皇位継承第1位になる。と同時に、他の女系皇族も順位に入ってくることになるわけで、皇室典範の現規定を準用して想定される順位は、以下のように変わってくるはずだ。

①愛子内親王 ②秋篠宮文仁親王 ③佳子内親王 ④悠仁親王 ⑤常陸宮正仁親王

 仮に将来、この順位で皇位が続くとした場合、まず愛子内親王がご結婚後お子様に恵まれさえすれば、「皇長子」「皇長子の子孫」という規定からはずれることはなくなり、一見、皇統は安定して存続していくように思える。

 だがここで問題となってくるのが、「女性宮家の創設」と「内親王のご結婚相手」だ。

 皇位継承者になる以上、愛子さまにしても佳子さまにしても、どこかの段階で――ご結婚されるされないにかかわらず――「宮家」となる必要があるだろう。さらにおふたりは、自身が未来の天皇になられるかもしれず、また未来の天皇をお産みになるかもしれないから、ご結婚相手の条件をどうするのか、という問題がさらに発生する。この問題をもっとも露わにした出来事こそ、小室圭さんと眞子さまの結婚をめぐる一連の騒動なのだ。

天皇だけが「象徴」か

 さてここで、もう一度制度としての「天皇制」に戻ろう。

 前回引用した日本国憲法第1条――「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とは具体的にどういう事だったか。前者の「日本国の象徴」とは具体的に、第6条第7条で規定された総理大臣・最高裁長官の任命と10の国事行為であることはすでに触れた。

 これに第3条第4条の規定を加味すれば、見方を変えれば、「象徴」とは「機関」そのものであることがわかる。「国政に関する権能を有しない」とはつまり、その意思とは関係なく「機関」として象徴の機能を果たす、ということだ。かつて昭和天皇は、美濃部達吉の天皇機関説が排撃されていたころ、「器官という文字を用いれば少しも差し支えない」と発言されたそうだが、現行憲法はまさに、限定的ながら「象徴」という名称で天皇を「機関」としてとらえているといえる。

 ここでもうひとつ考えるべきことがある。それは、「象徴」としての天皇は天皇個人のことなのか、という問題だ。

「日本国の象徴」としては、天皇個人ということになるだろう。だが「国民統合の象徴」という文脈では、必ずしも個人ではなく、天皇を中心とする皇族もまた「象徴的行為」を求められているのではないのだろうか。だからこそ皇族方はさまざまな名誉職に就き、また多くの公務をこなすことになっているのではないのだろうか。そこには、上皇陛下が述べられた「国民に寄り添う」という心持ちと行為を、天皇皇后両陛下だけでなく、皇位継承権を持つ男系皇族を含めた皇族すべてが負うことを求められているのだと思う。つまり、「日本国の象徴」と「国民統合の象徴」とは分けて考えなければならないのでさる。

「国民統合」の覚悟はありや

 なんだか話がうろうろしてしまっているが、続ける。

 小室圭さんと眞子さんの結婚について、「眞子さんの自由や人権派どうなるのか」といった意見が多くみられる。これは一般市民でいる限り、正しい。婚姻は両性の同委に基づくものだから、外野があれこれ言うべき筋合いではない。

 しかし、皇族の場合はどうだろう。先に述べたように、「国民統合の象徴」機能が天皇だけでなく皇族すべてにかかってくるものだとするならば、話は違ってくる。

 確かに人間は、いやすべての生きとし生けるものはみな、自分の生まれを自分で決めることはできない。皇族の女子としてこの世に生まれたのも何らかの因縁であり、そこに「負うべきもの」があるならば、一般市民とは違った覚悟が求められることになる。果たして眞子さんに、そして秋篠宮殿下に、その覚悟はあるのだろうか。

 眞子さんの記者会見での発言や質問への回答書、さらに秋篠宮殿下のコメント(「ご感想」)を読む限り、その覚悟があるとはどうも思えない。特に皇位継承順位1位の秋篠宮のコメントには、覚悟のほどが見られないのだ。コメントでは、「皇室への影響も少なからずありました」としながらも「これからも、今までの気持を大切にして、二人で自分たちなりの形で、幸せな家庭を築いていってくれることを願っております」と述べ、最後にこう締めくくっている。

「今回、皇室としては類例を見ない結婚となりました。しかし、そのような中にあっても静かに見守って下さった方々、そして直接的・間接的に応援をして下さった方々に深く感謝申し上げます。」

 眞子さんは皇籍離脱後の会見だったので仕方がない部分もあるかもしれないが。秋篠宮のコメントのどこを探しても、「国民」の文字は出てこない。将来「国民統合の象徴」となって、国民に寄り添うことを第一とするべき方の「感想」としては及第点とはいえないだろう。

 ましてもし「女系天皇論」が再浮上してきたとき、焦点は佳子内親王のご結婚問題にかかわってくる。姉は皇統譜から離れたが、妹にはそれが許されないのか。「国民統合の象徴」の一翼を結婚後も担うとなれば、眞子さんの二の轍を踏むわけにはいかないはずだが、父親であり皇位継承順位第1位の秋篠宮殿下は、どう考えているのだろうか。

 もし今後、佳子さまのご結婚に関して同様の問題が発生し、秋篠宮家が同様の対応をするならば、「国民統合の象徴」としては失格と言わざるを得なくなる。そうなると「女性宮家の創設」→「女系天皇」という道筋も閉ざされる。宮家の当主となった内親王が「国民統合の象徴」よりも「個人の自由・人権」を優先させたとき、それは「女系天皇」も「詰んで」しまうことを意味する。

 そうなった場合、憲法において規定されている「天皇制」をどうするか、という大問題が浮上するだろう。もし伝統としての「天皇」を残したいのならば、天皇制を憲法から外し、日本文化の総元締めとしての権威を保証していくしかないのではなかろうか(このあたりはまだ生煮えの考えなので、今後代わるかもしれない)。

 


 

 

 

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