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正しく理解する:ユダヤ人とは(3)歴史中編

今回はディアスポラ(民族離散)後のユダヤ人についてで、現在の特徴や問題を決定づけた要因のお話しです。

ディアスポラで世界に散った人たちを二つのグループで分類することがあります。ひとつがアシュケナジムAshkenazim、もうひとつがセファルディムSephardimです。アシュケナジムはドイツ語圏や東欧諸国に定住した人たちで一般的に白人のユダヤ人とされています。セファルディムはアシュケナジム以外なので、中東系も黒人もアジア人もセファルディムに分類されます。もともとは、多神教世界の中東で誕生した唯一の一神教がユダヤ教なので中東系のはずですが、いつのまにか白人系アシュケナジムがユダヤ人ということになってしまいました。ユダヤ人の規律としては「ユダヤ人とは人種とは無関係でユダヤ教に入信した者はユダヤ人」ということになります。

白人のアシュケナジムが増えた理由としてはハザール王国のユダヤ教への改宗と言われています。4〜6世紀に教科書で習ったゲルマン民族の大移動が起こります。ユダヤ教から派生したキリスト教をローマ帝国が採用したのちに、ゲルマン民族が欧州に広く分布していたケルト人を討伐して次々とゲルマン民族の王国が誕生しました。ドイツも勿論ですが、フランク王国を祖とするフランスもゲルマン民族です。一方で7世紀には、中東ではアラビアのモハンマドが預言者としてイスラム教がユダヤ教から派生して誕生します。ハザール王国は北のウクライナにあったギリシア正教(キリスト教系)のキエフ王国と南からのイスラム勢力に挟まれて、どちらでもないユダヤ教を国教としました。

その後は11世紀から13世紀にかけて、欧州世界を支配したローマ・カトリック教会の命で十字軍遠征が始まります。このような経緯で、自然崇拝の多神教のケルト人もイスラム教徒もいなくなり欧州はキリスト教一色になったのです。ハザール王国も滅亡し、白人のイシュケナジムのユダヤ人もキリスト教世界の中でひっそりと暮らすしかありませんでした。例えば、ゲットーと呼ばれるユダヤ人の強制居住区域の制度は19世紀まで続きました。また、商工業者の間で結成された各種の職業別組合であるギルドに加盟することは許されませんでした。特に、ユダヤ教では金貸しで利息を取ることを認めていますが、当時のキリスト教欧州社会では極めて軽蔑されるべき行為として認められていませんでした。ユダヤ教の信者はトーラーというユダヤ教の聖書を身体を揺らしながらひたすら覚えていきます。私はここに書かれている内容を知りませんが、このトーラーをひたすら読むことでユダヤ人独特の知恵を育ててきたと言われています。確かに、現代のユダヤ人の方と接して、昔で言えば「一休さんのような知恵者」が多いような気がします

フランス革命で絶対王政が終焉を迎えた後、1791年9月フランスの国民会議は忠誠を誓ったユダヤ人に対して市民権を付与しました。その頃は各地で王政が倒れ共和国家になったことで各地でユダヤ人の市民権が認められるようになりました。日本で言えば11代将軍徳川家斉の時代で老中の松平定信が寛政の改革をした頃ですね。英国では産業革命が始まった頃です。それとともに資本主義が発達しました。資本主義の父と呼ばれる「国富論」の著者アダム=スミスも同時代のスコットランド生まれの学者です。スコットランドは英国の中でもちょっと変わった地域で、キリスト教以外の宗教にも寛容でした。ローマ帝国も北部までは侵略しなかったので多神教のケルト人が多く残ったアイルランドと同じようにケルト人も定住し、またポーランドや東欧との海上貿易の関係から迫害を逃れたユダヤ人も多くいました。

アダム=スミスはユダヤ人ではありませんが、そんな環境でユダヤ人たちは資本主義や産業革命に大きなチャンスを見出したと考えても不思議ではありません
例えば、貨幣経済において紙幣を発明したのもユダヤ人ですし、産業革命で大量に生産される繊維製品などを大量に陳列し販売できる百貨店を発明したのもそうです。世界初の百貨店はパリのボン・マルシェ百貨店で1852年に誕生しました。その後も大衆娯楽としての映画産業マスメディアなどに進出していきます。そんな中で大きく財を成したのが有名なロスチャイルド家です。自由都市フランフルトの宮廷ユダヤ人でしたが1760年代に銀行業を始めました。五人の息子を欧州各地に分散させそれぞれ銀行業で成功させ、他にも事業範囲を拡大しました。ナポレオン戦争で莫大な富を築いたことでも有名です。1822年にオーストリア政府(ハプスブルク家)から男爵の称号を得ています。

そんな中で、急速に台頭するユダヤ人を快く思わないキリスト教系白人も多くいました。そして、再びユダヤ人を迫害する動きが強まります。典型的で有名なのが20世紀のナチスドイツによるユダヤ人迫害ですが、その前に帝政ロシアでのユダヤ人迫害です。明治37年(1904年)の日露戦争では戦費獲得のために高橋是清が日本国債を欧州で売ろうとした際に、国債を買い助け舟を出したユダヤ人実業家ジェイコブ・シフ商会の話が有名です。投資家なので勿論、損得はあるもののロシアでのユダヤ人迫害がユダヤ人シンジケートで戦費調達の原因であったことは確かです。

その後、欧州では第一世界大戦、そして第二次世界大戦と不穏な時代に向かっていきます。






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