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正しく理解する:ユダヤ人とは(2)歴史前編

2回目はユダヤ人の歴史をおさらいします。最初は旧約聖書です。私の妻は高校までカトリック系で大学もキリスト教系の大学でした。旧約聖書も授業で少し習ったようですが、最近何も知らないことが分かり、私がびっくりしていまいました。多分そういう方も少なくないと思うのでかいつまんでおさらいします。

ノアの方舟の話はご存知だと思います。大洪水が来るとの神の予言を受けたノアは、ノアの家族とひとつがいの動物たちを収容できる大きな木造船を作って避難し大洪水の難を逃れアララト山に漂着します。アララト山は標高5000mを超える山で現在のトルコの東部に位置しています。実際に古い時代の木の化石や方舟らしい地形が航空写真で確認されていますが、政治的な理由で発掘調査は禁止されています。ノアには三人の子供がいました。セム、ハム、ヤペテです。セムが中東やアジア系の祖、ハムがアフリカ系の祖、ヤペテ(ヤフェト)が白人系の祖と言われています。

ちなみに大洪水の伝説は世界中の至る所にあります。最終氷期と言われるヴェルム氷期が終わったのが1万年前。その後の温暖化で氷床が溶け決壊したことで大洪水が起きたと考えられています。宮崎県の弊立神宮は1万5千年前から再生を繰り返す御神木が祀られている2000年前に創建された神社です。私も妻と高天原に旅行した時に寄りました。ここには五色人の面が伝わっています。紫(黒)人、白人、黄人、赤人、青人です。

ノアの洪水、そしてバベルの塔の話のあとに、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖のアブラハムが登場します。キリスト教やイスラム教はずっと後世に誕生しますので、ユダヤ教が旧約聖書の主題です。アブラハムはメソポタミア地方のウルで裕福な遊牧民の家に生まれたと考えられています。ウルはメソポタミア文明の元となったシュメール文明の都で紀元前6500年頃から人が居住し始め紀元前3000年頃にウル第1王朝が始まっています。アブラハムの一家はカナン(ヨルダン川西岸で現在のパレスチナ)に移り住むことを目指し旅立ちます。その途中で神の啓示を受けます。その旅は子のイサク、そしてさらにその息子のヤコブ(Jacob)に引き継がれます。ヤコブの別名がイスラエルです。

ヤコブには12人の子供がいました。それがのちにイスラエル十二支族となります。その中で末っ子のヨセフ(Joseph)がヤコブから特に可愛がられたため嫉妬した兄弟たちにいじめられ、ヨセフはひとりエジプトに行くことになります。しかし、ヨセフはエジプトで出世していきファラオに認められエジプトの宰相になり、祭司の娘のエジプト人アセナトを妻とします。エジプトやカナンの地を襲った7年間の大飢饉の際も食糧備蓄をしたヨセフの知恵で免れ、ヨセフの兄弟たちもエジプトに呼び一族が暮らすようになります。しかし、その厚遇もその代までで、ヘブライ人のヤコブの子孫たちは時代の推移と共に奴隷同様の扱いになりヘブライ人が増えすぎることを懸念した当時のファラオに迫害されていきました。そんな時代に登場したのが十二氏族のレビ族出身のモーセ(Moses)です。

モーセの出エジプトは有名な逸話です。昔のハリウッド映画でもこれを題材にしていました(1956 年「十戒」主演チャールトン・ヘストン)。追いかけてくるエジプト軍が迫り来る中で、杖を振り上げると海が真っ二つに割れて道が開きイスラエルの一族が次々と渡ります。渡り終わると海が閉じ追いかけてきたエジプト軍の戦車も兵士も海に呑み込まれます。そしてモーセはシナイ山で唯一神ヤハウェから十戒を受けて契約し、モーセの一行は約束の地カナン(今のパレスチナ)へと向かいます。シナイ山はシナイ半島のジェベル・ムーサー(Jebel Mūsā,モーセ山)とアラブ人が呼んでいる標高2000mちょっとの山と言われていますが諸説あります。

約束の地に辿り着いた頃にはモーセはすでに他界していましたが、一族はカナンに先住していたペリシテ人(パレスチナ人)を追い出し、イスラエルの国を作ります。最初に王となったサウルはパッとしませんでしたが、紀元前1千年頃イスラエル王国を繁栄に導いたのが、ユダ族出身の2代目ダビデ王とその子の3代目ソロモン王です。

その後の代になると勢力を持つユダ族に反感を抱き、十二支族のうち十氏族が離反し北イスラエル王国を建国します。初代の王はヨセフの二人の息子のうちの一人エフライム族でした。ちなみにヤコブの子の十二支族のうちの長男ルベンは罪を犯したことで出生の権利を失いました。その分、エジプト宰相となったヨセフの子エフライムとマナセが族長の権利を受けました。北イスラエル王国ではイスラエル領地の中心部にエフライム族と最大勢力のマナセ族が領地を得ています。南ユダ王国はユダ族と狭い領土ですが好戦的なベニヤミン族の2部族が構成しました。また、レビ族は祭祀を取り仕切る部族だったため土地を持たず、北イスラエル王国にも南ユダ王国にもレビ族はいて祭祀を執り行いました。北イスラエル王国にはちょっと変わった部族もいてアシェル族は地中海に面した北側の領土で元はフェニキア人の土地でした。紋章はレバノン杉で、部族間抗争よりはフェニキア人とレバノン杉の海上貿易などに熱心だったようです。

その後紀元前740年代に現在のシリアやトルコを中心に興りエジプトまで勢力を広げた鉄器文明の新アッシリア帝国に侵攻を受けて北イスラエル王国の十部族は捕虜になります(アッシリア捕囚)、また紀元前597年には今度は新バビロニアに南ユダ王国が捕虜になってしまいます(バビロン捕囚)。バビロン捕囚の場合は、アケメネス朝ペルシャの初代の王キュロス2世の勅命で帰還が許され神殿の再建をしたのですが、結局はバラバラになりペルシアの都市スサに逃げたとされています。北の十部族は帰還の記録もないため「失われた十部族(Ten Lost Tribes)」として語られることになります。

かくしてイスラエル十二氏族は祖国を失い世界中に散りました。この民族離散のことをディアスポラdiasporaと言います。現在のイスラエルが建国したのは1948年なので、ユダヤ人(イスラエル人)は約2600年間も国家をもたずに欧米各地に居住したことになります。

長くなったので前編を終わります。後編ではディアスポラ後のユダヤ人をお話しします。





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