見出し画像

正しく理解する:江戸時代の産業革命(4)

安土桃山時代に日本をグレートリセットした豊臣秀吉。徳川家康は秀吉に対するライバル心を持ちながらも、家臣となってからは秀吉が次々と繰り出す革新的な施策について間近で学び、江戸時代には是々非々で取り込んでいき、さらに発展させました。そこが家康のすごいところでもあります。

例えば、戦国時代でもいつの時代でも、新たに政権を握った英雄がいたとします。戦乱を終息させた後にまず為すべきことは「平和な暮らしを保障し、生産活動を高めて経済的に繁栄させること」です。それができなければすぐに戦乱の世に逆戻りです。そのためには「教育」が欠かせません。「教育は次世代のリーダーや社会の担い手を育てるために不可欠」です。さらに、国民全体がより良い生き方を現在と未来に続けていくには「質の高い社会規範を維持する民度」が大切です。現在の世界の国を見渡しても、平和で経済的に繁栄している国は多いです。そして教育に注力している国も多いです。しかし最後の民度は、それらの現在ある国々でも「民度が低い国は少なくありません」。利己的になってしまうと少数の人たちは良くても、全体としては繁栄を維持できなくなってしまうのです。

戦乱の世が終わり平和な江戸時代になると軍事産業は不要になりました。世界最高の軍事力を支えた国友鉄砲衆も、関孫六や備前長船などの刀鍛冶も、美しい建築ながら堅牢な軍事要塞である城の石垣を築いた穴太衆もです。国友衆は全国に散らばりました。そして各地の大名のもとで新たな仕事を始めました。鍛冶屋さんたちは農機具や大工道具なども開発したので生産性がとても向上しました。

この背景にはこんなことがありました。
大名たちの所領の石高というのは見直しはあったものの基本的には一度決めた石高は固定されます。検地をして、例えばこの大名の領地は30万石だと決まったらずっと30万石です。石高が多ければ大名同士の中の格と序列が上がるので栄誉なことですが、その分だけ普請などの義務的労働も自費で負担させられます。例えば、「江戸城を拡張するので30万石の大名は10万石大名よりも何百人多い人足を出せ」という具合にです。一方で30万石の名目的な石高で、豊作や新田開発、商売などで実質30万石以上の収入があれば義務的経費を支出しても余剰が生じて貯蓄ができるわけです。そのため、各地の大名たちはこぞって熱心に新田開発や産業育成をすることになるわけです。この結果として、全国各地で城下町が整備されさまざまな特産物も育ちました。ただし、あまりに地方大名に貯蓄が出来すぎても困るので適当なところで散財させます。参勤交代にはそういう意味もありました。
現代の公会計は単年度主義で国も地方自治体も未使用の税収の余剰を蓄積できません。江戸時代のように地方自治体に貯蓄できるようにすれば地方が発展するかもしれませんね。

九兵衛の先祖も何回か殿様の転封で居住地を変えたのですが、会津藩時代には会津木綿の産業育成に貢献した記録が残っています。鉄砲大将とか侍大将などの軍服組は平和な江戸時代には大してやる仕事もなかったみたいで、水軍経験を活かして輸送路の整備とか特産品の開発とか銀山開発とかやっていたみたいです。衣服は当時は麻やからむしが中心だったので冬は特に寒いわけです。木綿は軽くて暖かいので現代のヒートテックのように人気商品だったようです。

江戸の人々の治安維持に欠かせないのが、強盗などの盗賊の取り締まり、そして町人同士の喧嘩や揉め事の処理。つまり、警察機能と裁判機能です。それが町奉行所の役割ですが、江戸幕府ができてすぐに設置されています。南町奉行の大岡忠相や北町奉行の遠山景元(遠山の金さん)などは昔TVドラマにあったので有名ですよね。

戦乱を終息させた後にまず為すべきことの「平和な暮らしを保障し、生産活動を高めて経済的に繁栄させること」は成功したと言えます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?