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正しく理解する:寺子屋と朱子学の威力(5)

寺子屋は世界最高の識字率と学力を育てた

江戸時代には寺子屋が1万5千カ所も存在しました。現在の小学校で約2万1千校、中学校で約1万校、全日制高校で約4700校、大学で793校です。日本の人口が現代で1億2500万人、江戸時代末期で3400万人ですので、今の感覚で換算して言えば5万5千校の教育機関が存在したようなイメージです。寺子屋1カ所あたりの塾生の数は少ないので単純比較はできませんが、それでも江戸時代の日本は驚くべき教育大国だったのです。

それは日本の高い識字率を支えました。読み書き算盤(そろばん)ができるということは、商売の文書や納税や損得などの計算だけではなく、かわら版(新聞)も読むことができ、「立ちション禁止」のような掲示板も読むことができるわけです。

現代社会のように「いい学校を卒業していい会社に就職する」のような教育ではなく、それぞれの武家や商家や百姓としての家業や個人のたしなみとして教育があったわけです。そしてそれは驚くべきほどに日本人の民度を底上げしました。

戦国時代までは百姓や土豪の民は落武者狩りでモノ盗りをするのも普通でしたし、火付け盗賊もいました。江戸時代になると江戸の町奉行や諸藩の奉行ができ治安が良くなったことも相まって、民は一気に知的な人たちになっていくのです。そして江戸期の日本版産業革命を下支えします。

当時の欧米にはレベルの高い大学もありましたが対象は限られていました。一般人レベルまで教育を受けることができるようになったのは1791年(寛政3年)のフランス革命後で日本よりも190年近くあとで、産業革命において子どもたちを工場労働者として育成することが目的でした。江戸の事情とは随分違います。

江戸時代の朱子学は庶民に至るまで公衆道徳の教えを浸透させた

寺子屋で読み書きと一緒に教えられた儒学。その中でも中心となったのが朱子学です。これを普及させた人物が林羅山です。1583年(天正11年)生まれの羅山は独学で儒学を学ぶうちに朱子学に傾倒して儒学者の藤原惺窩(せいか)に弟子入りします。1605年に師の推挙で徳川家康に謁見、才を認められて23歳の若さで家康のブレーンになります。そして2代将軍で年上の秀忠にも講書を行います。大名に向けた「武家諸法度」や旗本や家臣のための「諸士法度」そして行政や刑事関係の法令である「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」などの江戸時代の法律は林羅山の手によるものです。これらが江戸時代の産業革命や治安の良さのベースとなった法律です。
林羅山は1632年に江戸上野に学問所を建て、門人を輩出しました。この学問所は後年場所を移し昌平坂学問所となり、のちの東京大学の系譜となります。

庶民のための学問所が初めてできたのは1664年(寛文4年)で4代将軍家綱の頃、会津藩に横田俊益が創設した「稽古堂」です加藤明成(賤ヶ岳七本槍の加藤嘉明の長男)が横田俊益を見出し林羅山に弟子入りさせました。その後、会津には徳川秀忠の子の保科正之が入部し松平会津藩となります。横田俊益は前藩主の加藤明成に付き従うことを望んでいましたが、保科正之が口説き落とし稽古堂を創設、これがのちの会津の日新館となります。これが契機となって全国各地が庶民までを対象とした寺子屋が都市部だけではなく農村部でも増えていき、1万5千ヶ所にまで増えていったのです。

男子のみが通学する寺子屋は5,180校、男女共学は8,636校、生徒数は平均で男児43人、女児17人だったそうです(明治25年の文部省資料より)。生活に必要なさまざまな知識を手紙(往来)の形で文書に織り込んだ往来物(おうらいもの)が教科書として採用され「庭訓往来」「商売往来」「百姓往来」「実語教」など多様な教科書が使われ女子には裁縫や茶、活け花を教える寺子屋も存在しました。文字を読める識字率だけではなく、自分の名前を書くことができる自署率も格段に高く、家や周囲を清潔にする公衆衛生や周囲や他人との関係を良好にする礼儀作法、そして商売道徳や農作業の基本まで寺子屋を通じて国民は学んでいったのです。

鎖国をしていた江戸時代の日本を訪れた外国人は多くありません。しかし、例えばオランダ商館の医師として来日したドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルは1691年と1692年の2回、5代将軍綱吉に謁見しました。その道中、箱根山中の豊かな自然と信じられないほどの種類の植物に魅了されました。それだけではなく、日本人の道徳や知識レベルの高さに感銘を受けました。余談ながらもうひとつは日本人や日本神話と古代ユダヤ人との風習や歴史の酷似に気付きました。彼は日ユ同祖論を考えた最初の西洋人です。ケンペルは日本での体験を『日本誌』にまとめ出版しました。彼の本は多くの欧州人に読まれ、不思議でエキゾチックな日本への好奇心が欧州で湧き上がります。日本からの陶磁器や工芸品はジャポニスムとして当時の欧州貴族の間でブームとなり、日本画に影響を受けたゴッホ、モネ、ドガ、ロートレック、クリムトなどの画家も多く登場しました。

江戸時代のこれらの教育や公衆道徳、そして厳しくも豊かな自然環境の中で生活する姿が、いつのまにかソフトパワーとして西洋人を魅了する事態となっていったのです。


安土桃山から江戸期にかけて日本を確立させた4つの出来事を見てきました。①安土桃山時代の軍事力、②江戸時代の日本版産業革命、③全国に広がった寺子屋と識字率、④朱子学がもたらした公衆道徳の高さ、を解説してきました。

次回は明治以降の日本の体制について、いくつかについてお話しします。







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