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衝動

好きなことを好きなだけ打ち込んで輝いていたであろう過去に逃げ込み、時にありもしない記憶を呼び起こしては、まるで「自分は孤独ではない」と言い聞かせるように思い出に縋る。人間は記憶を美化する傾向にあると聞くが、最初からそれが美しさを持ち合わせていたのか、自信を持って明言できない自分に嫌気が差す。

どれだけ自分が好きだと思うことでも、それを自信を持って好きだと言うことは思いのほか難しく、純粋に好きなだけではいられないだろうという理性が眼前に現れる。

それでもその現実を超えようと衝動が湧き上がってくることも事実で、それが今の自分にとって最高のモチベーションであり、生きる喜びなのだろうということははっきりと分かる。

この衝動は一体何だろうか。
過去に経験した初めての出会いに対する心の震えと似てはいるが、全く同じようには思えない。人間は生きていればそれだけ多くのことを経験するし、初めての経験というものは少なくなっていくものだと思う。初期衝動はひとつの記憶となり、感覚として思い出すことはできない。

例えば私が音楽を始めてから、約12年が経つ。初期衝動は初期にしか感じられない。気が付けば30歳も目前で、年齢相応の、それなりの経験もしてきたつもりである。そんな私が、目の前の現実を超えてでも好きなことに夢中になりたいと、衝動にかられるのである。

繰り返すが、初期衝動は初期にしか感じられない。ただ、私には確かに12年目の衝動がある。衝動は刹那的な感覚であると思い込んでいたが、努力や思考を通して持続させることができると、ようやく気が付いた。(気が付かされたという方が適切かもしれない)

この事実に気が付くまでに多くの時間を要してしまったが、他にも何か自身の中で気づきを得られればと思い、ひとつnoteという手段で思うがままに頭の中の言葉を起こしてみようと思う。拙い文章で恐縮ではあるが、思考と言葉の置き場として記録する。

それではまた。


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