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支援者であり当事者であること

今日は「愛着障害による行動の問題の理解とその支援」のシンポジウムに参加してきた。
委員会のお手伝い?でスタッフ側での参加だったので久しぶりにオンラインの準備をせかせかと。

【リーガルソーシャルワーク委員会】 本日のオンライン研修は、 「愛着障害による行動の問題の理解とその支援」 90名以上の方にご参加いただいています。 講師の先生も現地から、なのが残念ですが、 質疑応答時間も設けさせていただき、 学びを深める時間になることと思います。

Posted by 公益社団法人 岡山県社会福祉士会 on Saturday, February 19, 2022

愛着障害。
言葉だけは割と聞くことはあったし、何となくのイメージもあった。

米澤先生の講演を初めて聴いて愛着障害がどいうものなのかすごくくっきりと理解できた。
すごく丁寧な説明で2時間はあっという間でもっと聴きたいと思える内容であった(講演後すぐに書籍をAmazonでポチっと)。

委員会のスタッフ(ソーシャルワーカー)もシンポジウムが終わった後に「あの人もきっとそうかもね」「今後の支援に活かそう」と前向きな意見を交わしていた。

私も関わっている方の顔やエピソードを思い浮かべながら聞いていたけど、(おそらく)皆と大きく違ったのは「これ自分のことじゃない!?」だった。

というのも支援者である私自身も少なからず生きづらさみたいなものを抱えていて、これまでもトラウマケアのカウンセリングなども受けたこともあった。

自分の中で抱えている問題が解消されない感覚が今もなおあって自問自答しながら、時には支援を受ける立場になりながら、何となく折り合いをつけながらやってきた。

でも消えないモヤモヤもあって、しっくりとくる言葉や納得できる説明に出会えずにいる。

特に今日の講演に初めから何かを期待していたわけではなかった(委員会の手伝いでなければ参加しなかったかもしれない)。

でも今日の愛着障害の話を聴き進めていく内に、「これって?」と率直に青年期の自分や大人になった今の課題に当てはまっていく感覚が強くなっていった。

発達障害の特性に重なっているという話や私がこれまでとってきた行動にも当てはまることが多かった。

もちろん正確な診断を受けていないのであくまでも個人の感覚だけど。

たった2時間の講演のなかで今までない”しっくり感”を感じたのは間違いない。

あと、講演のなかで「愛着障害=親が子供に愛情を注いでいないことで起こること(問題)ではない」という話があった。

私は大人になって母親から子供の頃のことについて「ごめんね」と謝られることが何度かあった(特に酔っぱらっている時が多いんだけど、大体泣きながら謝ってくる(笑))。

私が抱えている問題に母親なりに責任を感じているみたいで私から母親を責めたことはないけれど、謝られる度に何とも言えない気持ちになる。

子供の頃の経験が今の私を形成している部分は大きいし、しなくてもいい経験があったことも事実だ。
でも「ごめんね」を言われるたびに「気にしなくてもいい」と返している自分に違和感もあった。
過去の経験に影響されている事実を引きずりながら親の責任にはしたくない、責めたくないというジレンマからだと思う。

「愛着障害=親が子供に愛情を注いでいないことで起こること(問題)ではない」という言葉に救われた気がした。誰かの責任や問題ではなく起こりうることであり、治療できるという言葉に。

同時に母親に伝えてあげたいとも思った。
もう謝らなくて、自分を責めなくていいんだよ。って。

愛着障害の診断や正しい理解まだまだ進んでいないのが現状で精神科医であっても正確に診断することは難しいという。

私自身も言葉は知っていてもまだまだ理解しているとは言い難い。
自分ごととしてもこれからの支援に役立てるためにももっと学んでいきたいと思う。その中で当事者性を持った支援が展開できるよう自分自身とも向き合っていきたい(支援者として自己開示することへの恐さもあるけれど)。

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