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「強者ジェンダー」の認識の齟齬

このツイートに対して「草食系男子」の側から多くのクソリプが向けられているが、その多くが「ジェンダー強者」という認識に対する疑問である。元のツイートからすると暴力、性暴力、夫婦関係などで「ジェンダー強者」でないのは明らかであるが、それ以外となると所得や地位が代表的だろうか。

事実として日本には所得や地位の面でジェンダーギャップがあるので、元のツイートの「ジェンダー強者」観は、「草食系男子」も男性であるというだけで所得や地位が高いという既得権に与っていることを認識せよという主張と解して大きな問題はないと考えるが、実はここでも認識の齟齬がある。なぜなら、「草食系男子」の人々は所得や地位のジェンダーギャップが発生するのは{所得や地位で男性を上回る強者となる選択権を持つ女性が、なぜか弱者ポジションを選んでしまう}帰結であり、女性側の選択の問題であると認識している人が多いからである。この認識の齟齬が端的に現れているのは以下のツイートだろう。

「肉体労働は男性が担当すべき」→「それ医学部の男女差別の動機だよね」という突っ込みだが、元のツイートは「男性は強者なのだから強者としてふるまうべき」という考えをしてしまっている。もちろん、単にそれが肉体的なものにとどまるならば元のツイートの主題を深堀りすることももできよう。しかし、医学部の差別問題では、女性医師が深夜当直をせず男性が穴埋めをすることが男性を一定割合抱えなければならなかったのが主たる理由であり、男性が深夜当直ができるのが配偶者が主婦になり内助の功を得ることができる、という単純に身体的能力だけではない部分がある。

ここが分かれ道である。「女は主婦という役割に閉じ込められている、男はジェンダー強者なのだ」というのが従来の男性ジェンダー強者説の考えだろう。一方、近年の「草食系男子」界隈では、「主夫希望の男性はいくらでもいるのだから女性医師が彼らを配偶者とすれば内助の功を得られるのに、なぜか医師、それも同期や自分より格上の指導医などと結婚したがる」=ジェンダー強者になる資格があるのに自発的にジェンダー弱者ポジションを選んでいる、という現象として捉える向きが多い。

これに類する主張は、すもも氏が代表的な他、飛んでいるクソリプのなかでは「男らしさ2.0」という単語も「女性が自ら望んで弱者ポジションに入ることを許すことを男に求めている」という主張であり、それを表している。私は別の観点で、「ジェンダーギャップを解消するにはどうしたらよいか」というフェミニズム的な動機で同じようなことを書いている。

ジェンダーの強弱関係について、男性が“既得権益”によって維持しているのだという認識と、女性が自発的に“被保護者”ポジションを選んでしまうために消えないのだという認識で齟齬があるとは、大まかに言えばこういうことである。前者の認識を持つ人は、「草食系男子」の「統計坊や」たちが出している後者の認識に反論して潰していくのが良いだろう。

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