今ディストピア文学を読むなら健康ディストピアでしょう

最近ツイッターで、ディストピア文学のテーマを肌身に感じて読んでもらうには、という話が少々話題になっていた。今ディストピア文学を自分の身近な話としてするなら、圧倒的に健康ディストピア世界の話が良いだろう。熊代亨さんがすでに伊藤計劃「ハーモニー」を紹介している。

さんざん指摘されていることだと思うが、ユートピアとディストピアは実質的に同じである場合がある。元祖であるトマス・モアの「ユートピア」は、健全で穢れのない生活を生活を送るよう改造された自然環境の中で管理されて生活を送る。言い換えると、不健全な生活をする自由がない管理社会であり、穢れのないユートピアであると同時に不自由なディストピアでもある。

パンデミック以降の現代の様相は、健康のために自由を制限するという構図であり、元祖ユートピアと似た表裏一体性を持つ。感染症の制御においては感染者の発見と隔離が重要であり、それを守らせるための罰則付き監視を法制化している国も中国や台湾、ベトナムをはじめ少なくなく、実際それらは防疫に効果を上げているように見える。

そんな中で、普段であれば政府の監視などもってのほかという論調で知られるような人でさえ、政府はもっと厳格な隔離をするべきではないかと言うような意見を言い出すことも増えている。ツイッターで見知ったアカデミシャンでも監視の不備を訴えているととれる投稿をしており、自分もやや驚いた。

健康を達成するために、厳格な隔離と自由の制限を要求する人がいる一方で、健康影響を軽視して自由な行動を求める人もいる。タイの軍事政権のように反政府デモを鎮圧するのにウイルス対策を掲げて外出禁止令を出すところもあれば、世界最多級の感染者と死者を出しつつも人権デモは止めることはないアメリカと言う国もあり、また欧州の中でも比較的マシなドイツですら反ロックダウン・反マスクのデモを憲法・人権上の要請から止めていない。

自由を優先した国では人権的に問題のないワクチン開発を切り札としてそれを加速させたが(実際1年待たず投入が始まっており、驚異的に早いペースでのワクチン開発であるように思う)、世の中には反ワクチンという人たちがいるので、義務化するほど出回ればまたそこでもうひと悶着可能と思う。

熊代さんも述べているが、健康と自由を引き換えにするか否か、ユートピアであり同時にディストピアである状態を受け入れるかどうかという問題は、現在進行形で肌感覚で分かる問題である。今ディストピア文学を取り上げるなら、圧倒的にこれであろう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?