見出し画像

女性のやせ願望・摂食障害を社会的アプローチで防ぐ際に知っておくべきこと

女性のやせ願望については、摂食障害という健康上の問題のため、それをやめようという社会運動の対象になり、かつシリアスな研究の対象となってきた。やせ願望には社会的側面があり、俗に「男性が女性に痩せるよう求めるから過剰に痩せるのだ」というような議論が出ることがあるが、ここには誤解がある。

一般的に、「男の考える理想的な女の体型」と「女の考える女の理想の体型」を比較した場合、後者のほうがずっと痩せ型である。これは疫学的・心理学的な研究の対象となってきたし、少なくとも先進国内では再現性も高い。

画像3

男性が考える魅力的な女性の体型(上段Other Attractive)よりも、女性自身が考える「魅力的(Attractive)」な体型や「理想の(ideal)」体型のほうが細い。下段男性については、男性が考える男性の「理想の」「魅力的な」体形が安定しているのに対し、女性が考える魅力的な男性の体形(下段Other Attractive)は細めで、女性は全体的にやせ型を好む傾向にあるとは言える。
出典:Fallon, A. E., & Rozin, P. (1985). Sex differences in perceptions of desirable body shape. Journal of abnormal psychology, 94(1), 102.

また、女性の写真を見せた場合の視線の研究(Gervais, Holland & Dodd, 2013)においても、男性はボディライン、特に腰回りはあまり注目せず、むしろ女性が他の女性のボディラインを事細かにチェックしているという傾向が見られる。

このため、摂食障害の予防、あるいは「ボディ・ポジティブ」思想の普及を社会を通じたアプローチで実行しようとするときには、男性に何か言うよりも、女性自身の美の価値観や、女性コミュニティ内での競争意識の側にアプローチしていったほうがおそらく効果は高い(念のためだが、摂食障害の標準的治療については個別性を重んじて医師に任せるべきである)。

この話をするとやや信じられないという感想をもらうことがあるので、19世紀以前までさかのぼっても同じ傾向が見られる、という話を少々したいと思う。

絵画に見る「理想の体型」

西洋絵画においては、ボッティチェッリなど神話を描いたルネサンスの作品から、肉欲をあからさまにして現実世界の男女を描いた近代の作品まで、描かれる肉体の質は比較的安定しており、女性はお腹がぽっこり出るくらいの体脂肪率35%程度のボディが、男性はシックスパックがうっすら見える体脂肪率15%程度のものが好んで描かれてきた。これは裸婦画に限ったものでなく、アングル作品などは着衣を通してもあからさまに太い女性を描いてる。かなり有名な作品でも、そこに描かれる女性の体型は現代なら医者に太りすぎを注意されるほど太めの体型であることは珍しくなかった。

画像3

ボッティチェッリ『ヴィーナスとマルス』1483年

画像2

アングル『トルコ風呂』1863年

フェミニズム表現論においては「表現の世界は男性に支配されてきた」という言説は節々で出るし、実際近世までの絵画作品のほとんどは男性画家の手になるものであるが、表現論の文脈に沿えば、男性画家たちは筋肉質の男性とぽっちゃりの女性を理想化してきたわけである。これは現代における「理想の体型」評価テストにおける回答者の性差と同じ傾向であり、男性は女性自身が考える理想の体型より太い女性をエロチックと感じている、ということである。

コルセットの歴史

過度の痩身についてもう一つ考えておくべきはコルセットである。19世紀の段階で、体を細く見せる方法として広く行われつつ、ランセット誌に呼吸を害するような締め上げは不自然でやめるべきだという論文が掲載されていた程度には健康に害があるものとして扱われており、現代の摂食障害に近い扱いであった。

このコルセットの慣習は、(特に東アジア圏では)纏足と同様に男性による強制だったととらえられやすいが、それは間違いである。少なくとも19世紀初頭の段階ですでに「医学的にはすぐやめるべきで、男性も気持ち悪いので使ってほしくないのだが、女性の側、特に母親が娘に強制するのを止めない」というタイプの社会問題として扱われていた。

The fashion of tight lacing obviously owes its origin to a desire on the part of the ladies to attract admiration. It is of little importance to point out that they are quite wrong in their calculations as to the effect, and that the other sex, so far from admiring a waist of extreme tenuity, shudder at it as something unnatural, and inconsistent with true beauty. Without regard to this fact, though it is in itself sufficient to settle the question, we would press upon the guilty parties, and all interested in their welfare, that tight lacing is a practice which cannot be long persisted in without the most disastrous consequences. It is painful to reflect that parents, so far from discouraging the practice, as often enforce it upon their children. We have heard of a young lady whose mother stood over her every morning, with the engine of torture in her hand, and notwithstanding many remonstrative tears, obliged her to submit to be laced so tightly as almost to stop the power of breathing.
コルセットで締め上げたファッションは明らかに女性自身の自己顕示欲に端を発しています。彼女らの目論見が誤りで、異性にとっては極端に細い腰のくびれは賞賛すべきものとはかけ離れており、震えるほど不自然で、真の美しさと整合性がない、という事実を指摘することは、もはや重要ではありません。先の事実はこの慣行に疑問符をつけるに十分ですが、それを脇に置いて福祉のみに注目しても、コルセットは最悪の結果なしで存続しえないものだと言わねばなりません。親がこの慣行を止めるどころか子供に強制しようとするのは想像するだに苦痛です。ある母親が毎朝、若い娘の傍らで体罰の道具を手に持ち、抗議の涙にも関わらず呼吸が止まるほどきつくコルセットを締め上げるのを監督していたと聞きました。
"Deviations from Nature" Hobart Town Courier (10 February 1837)
The women of the French court saw this corset as "indispensable to the beauty of the female figure."
フランス宮廷の女性たちはこのコルセットを「女性の体形の美のために不可欠」とみなした。
For dress reformists and men of the late 1800s, corsets were a dangerous moral ‘evil’, promoting promiscuous views of female bodies and superficial dalliance into fashion whims.
1800年代後半の服飾改革派や男性にとって、コルセットは危険で道徳的「悪」であり、女性の身体に対する乱暴な見方や気まぐれなファッションへの皮相的な耽溺を助長するものとみなしていた。

細すぎる女性を「美」として扱わないのは、それ以前からある芸術的裸婦画におけるぽっちゃり志向とも整合的である。現代でも痩身が行きついて枝のように細い(「ツィッギー」な)体の女性がいるが、そういった女性を抱いたことのある男性諸氏であれば、少なくとも一度は「何かの拍子に傷めてしまうのではないか」という惧れが心中に去来した覚えがあるのではなかろうか。細すぎる女性は男性にとっては不安を掻き立てる存在である。

また、19世紀のコルセットが持つ「母親が娘の肉体改造を強制する」という構造は、現代「アフリカの角」周辺地域における女性器切除(FGM)の問題でも見られる構造である。こちらの問題では「男性が女性に処女性を押し付けるためにやっているものという先進国視点の誤解は問題解決を阻むのでやめるべきだ」と現地出身の女性学者から指摘される。

女性器切除の廃絶運動に携わる人々はよく、この慣習は処女性、貞節、男性の自信、女性の性欲のコントロールと関係するものだと言う。だが実際にはそれは「神に捧げる犠牲」としてはじまった。つまり当初それは人間同士ではなく、人間と神の関係と関わりのあるもので、聖なる血、存在そのもの、そして子宝に関連した「自己防衛」の行為だったのだ。
——「ほんとうの起源を理解しない限り、女性器切除はなくせない」Courrier, 2020/4/19

女性の痩身志向もFGMと同じで、男性によって強制されたものであるという誤解をしていると問題解決が阻まれる。過度な痩身の本質は女性の好みに基づく女性間の競争が大きく影響しており、問題解決のために男性にアプローチしたり「男性の目線を気にせず……」といった説得をしても効果は薄いだろう。

繰り返しになるが、摂食障害は女性の健康を害するものであって予防措置がなされなければならないが、それは実効性のあるものでなければならない。その観点に立った時、痩身願望が基本的に女性コミュニティで完結したものであり、男性が根幹的原因ではないゆえ、男性を交えたアプローチには限界がある、ということは理解されるべきである。


このあたりのフェミニズム理論的議論については、こちらのエントリも参照されたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?