見出し画像

「自由の国と感染症」訳書刊行に添えて、現在の私の見方

お久しぶりです。半年ほど前に身内の「ゼロコロナ」派からコロナに関する言論活動を責められ、新型コロナ対策に関する活動の身動きが取れない状況となっておりました。この間、一介の素人であった私を信頼してくださった方々に大変なご迷惑をおかけしたことを、この場を借りて平に陳謝いたします。大変申し訳ございません。

このたび、ヴェルナー・トレスケン(著)西村公男・青野浩(訳)「自由の国と感染症 法制度が映すアメリカのイデオロギー」みすず書房,2021を訳者よりご恵贈いただきました。この本は、新型コロナウイルス流行以前に書かれた感染症と法制度、社会の関係を探った数少ない研究書の一つです。COVID-19以前に書かれたということは、すなわちこの感染症をめぐる政治的立場に《汚染》されていない数少ない研究書とも言うことが出来、今後20年この書籍と同等のフェアさと専門性を兼ね備えた本は出ないのではないかと思える、貴重な研究です。ご興味のある方はぜひ手に取っていただきたいと存じます。

また、今回ご恵贈いただいたことを機会に、いま一度、現在の新型コロナ流行の状況に関する私見を綴りたいと思います。

本記事は現在の世界の新型コロナ流行状況を説明しうる一つの仮説を提示しています。確実なものではないですし、独自に収集したデータを使って根拠づけを行っているものでもなく、あくまで「常識的な推測(speculation)」です。
専門家の見方については、yahooの忽那賢志先生の連載などを参照してください。

日本における患者数の急減

感染症は放っておくと「増える」増殖速度を持ちます。これに対して、マスクを付ける、手洗いをするなどの対策を重ねていくことにより、病原体の増殖速度を抑え「減る」領域まで持っていくことが感染症対策の基本的な目標になります。

ワクチンの病原体増殖の抑制効果は病気の種類によります。天然痘などの場合はワクチンが効果的に病原体の増殖を阻止したわけですが、インフルエンザなどメジャーなウイルス性呼吸器疾患ではワクチン単独で病気を根絶するには至らず、新型コロナウイルスもその例に漏れないというのが現状と言えるでしょう。

日本におけるコロナウイルスの急減の理由ははっきりしていませんが、常識的な推測(speculation)をするならば、「もともと対策を積み重ね増えるか増えないかギリギリの攻防をしていたところに、ワクチンが投入されたことで一気に『減る』領域に突入した」という解釈が「現状もっとも穏当な仮説」として受け入れられている状態ではないかと思います。

東京医科大の浜田篤郎特任教授(渡航医学)は収束の背景として、複合的な要因を指摘する。ワクチン接種の進展に加え、東京五輪終了後の8月中旬ごろ、報道などで感染者の多さを知った人たちが感染リスクの高い行動を自粛したことを挙げる。8月下旬から暑さが和らぎ、部屋を適切に換気するようになったことなども考えられるという

感染者数なぜ急減? ワクチン効果、行動変化など―専門家「複合的要因」
2021年10月16日 時事通信
病原体の増殖力(再生産数)と、対策によるその抑制の関係を表す模式図。矢印の大きさはあくまでイメージを表すものであって、実際に計測された値に基づくものではない。

ワクチンを打っても行動制限を解除すると難しい~欧米や韓国の事例

日本の対策が一定の成功を収める一方で、海外ではここに来てワクチン接種が進んだにも関わらず新規感染者数が過去最多となる事例が相次いでいます。

この違いについては様々な説明がなされており、例えば、ワクチンの種類が違う(日本で採用されているファイザーとモデルナが最も効果的とされる[a][b])、株が異なる、ファクターXがある……など様々に言われていますが、まず欧米と韓国の例については、前節の「現状もっとも穏当な仮説」に照らし合わせれば、「ワクチン単独では防ぎきれないのにワクチン以外の対策が緩んでしまった」というのが穏当な解釈になるでしょう。

もっとも顕著なのがイギリスで、長期のロックダウンによる経済的ないし精神的なダメージに耐えきれず、行動制限を解除し、流行してもなすがままに任せるという方針になっています[a][b]。ドイツにおいても、いわゆるワクチンパスポートは導入されていたものの、大規模な集会などを緩和していたことが指摘されます。

これまではスタジアムキャパシティーの50%かマックス2万5000人に限定し、そこからの緩和にはとても慎重になっていた。隣り合わせの席を使用しないように調整されていたし、スタジアムの入場者コントロールでは「Geimpft:ワクチン接種証明」「Genesen:感染回復済証明」「Getestet:抗原検査ネガティブ証明」のいずれかの提示が必要に。
そんなドイツでもワクチン接種者が全体の65%近くになってきたことで、ワクチン接種者への対策がだいぶ緩和されるようになっている。このマインツ対ウニオン戦ではスタジアムの最大収容の75%までの観客動員が州から許可されたことになっていた。

ドイツで1年半ぶりにミックスゾーン復活 原口元気の丁寧な対応、そこにしかない価値 2021.10.10 football-zone

韓国でも最近感染者数が急増し、再び制限を強化せざるを得ない事態に陥っていますが、この感染戦車の急増は、ワクチン接種率が一定の段階に達したとして11月1日に「日常回復策」として制限を緩和したことが原因ではないかと指摘されています[a]。

ワクチン普及後の日本と欧米の新型コロナ流行状況を説明する仮説の模式図。ワクチン以外の対策をどれだけ緩めたかで感染状況が分かれたとする見方。

これらの国における規制解除は、日本から見ると「気が緩みすぎ」と見えるかもしれません。しかし、私から見ると、これも必然ではないかという気がします。以前に私の個人的な恩師の一人と話した際に、「コロナ対策の行動制限に鬱屈として精神的に耐えられなくなっている人がいる」ということを言われました。日本でもそうなのですから、「隔離や外出禁止を破れば逮捕・罰金」というほど厳しいロックダウンを布いた国で精神に限界が来ている人が多くいるのは想像に難くありません。厳しい行動制限は確かにコロナ患者を減らしましたが、一方でその中から「死んでもいいので自由に行動したい」とやけばちになる人が現れるのも事実であり、時間や回数に制限のある緊急手段だと看做すしかないでしょう。

デルタ株の前に破れた?「優秀対策国」

昨年まで、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナムはコロナ患者発生数がゼロに近い状態を維持し、対策が優秀な国として称賛されてきました。しかし、デルタ株の流行以降はロックダウンが長期化し、オーストラリア・ニュージーランドでは長期化に生活が耐えられず反ロックダウンデモが頻発するようになり、最終的に封じ込めに失敗するに至っています[a][b](現在は日本より人口当たり新規感染者数が多い国が多い)。

これらの国についてありえそうな仮説を提示すれば、「デルタ株以前では国や州による強力なボーダーコントロールなどの対策が機能していたが、増殖速度の初期値が高いデルタ株相手では、同じ対策では増殖速度を減少領域まで落とせなくなった」というあたりになるのではないかと思います。

デルタ株出現以前までは対策に成功していたが、デルタ株以降に対策が破れた国の状況を説明する仮説の模式図。対策は同じだったが、増殖力の変化についていけなかったという見方。

日本はデルタ株の流行を(世界の他国と比べ)早期に抑えることに成功しています。日本とこれらの国の違いは、民間の対策ノウハウの蓄積の違いによるものではないかというのが私の仮説です。

ボーダーコントロールやロックダウンといった政府による行動制限は確かに強力です。実際、デルタ株出現以前までこれらの国では「ゼロコロナ」と呼べるような状態を演出していました。しかしながら、政府による行動制限はその法的根拠などを必要とするがゆえに融通が利かず、変異株の出現などに柔軟に対応するのにも限界があります。

また、これらの「優秀国」はボーダーコントロールでの統制で「ゼロコロナ」を実現していたがゆえにヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ民間のウィークポイントが炙りだされていなかったとも言え、ゆえに侵入されて以降の対策に苦労しているのではないか――というのが私の仮説です。

もちろん、これらの国は累積では日本より人口当たり感染者数が少ないですからこれらの国の対策が間違っていたというようなことは言えません。ただ、これらの国の政策が銀の弾丸だったかといえば、そこまでではなかった、というのが現状ではないかと思います。

日本は、基本的に感染症対策において国の強制力の弱い国です。例えば、欧米でもアジアでもオセアニアでも世界の過半の国では「隔離中/ロックダウン中に家から出たら罰金」という対策が実施されましたが、日本はこれをやらなかった世界でも珍しい国に入ります。この強制力の弱さのため、日本政府の取った対策は「新型コロナウイルスの性質と防御策の要点を住民に伝え、各自自衛策を取ってもらう」ものが中心となりました。「3密回避」などはその典型例と言えるでしょう。

強制力の弱さは日本の対策の弱点ではありましたが、その代わり民間に防御ノウハウが蓄積されたのではないかと思います。日本ではマスクや手洗いの励行は「行動制限に比べれば続けられる対策」として、ワクチン接種が進んだ後も維持されており、日本の感染者急減を報じる英文報道に対して「見ろ、この写真でも全員がマスクを着けている。これが違いなんだ」というようなコメントがついているのは多く見ます。会食の頻度も、多くの人は流行状況に合わせて調整しているでしょう(ゆえに今は増えていますが、忘年会など時期の集中は避けられるようにはなっています)。

民間が自発的にとった対策には無意味なものも多くありました。例えば「次亜塩素酸水の空間噴霧」云々は責められるに値するものだったでしょう。しかし一方で、その中から興味深いアイデアも生まれてきました。換気状況を二酸化炭素濃度計で監視するアイデアは、初めて見たときは「なるほど」と感心したものです。たとえ「やってる感」の演出に過ぎないのだとしても、相変わらずマスク着用や手洗いが励行されていることは、日本の新型コロナ流行の抑制に貢献していると思います。

私は当初変異株について事前の考慮が不十分だったのでそこは反省しなければならないのですが、方針変更に合議や法的根拠の必要な政府の強制による政策が主体であると、変異株の出現に対する柔軟な対策の調整が難しい一方で、民間にノウハウを蓄積させる日本の方式は、怪我の功名と呼ぶべきかもしれませんが、変異株に強かったのではないか、という推察をしています。

「ウィズコロナ」のこころ

「ウィズコロナ」という言葉は、それが言われだした頃から、「コロナの存在を許容しろとは何事か、ゼロコロナにしろ」というような批判が多かったと記憶しています。私はこの言葉が出た当初から別の意味として捉えていました――「潜伏期間が長く水際対策をすり抜けてくるウイルスなので、報告される感染者数がゼロでも常に身近にいると思って日常的な対策を怠るな」という意味と理解していました。

新型コロナは、流行を常に低い状態に保つことはできるでしょうが、日常的なコロナ対策をしなくて済む「清浄国」の状態に持っていくことはほぼ不可能ではないかと思います。人権を考えれば完全な鎖国は不可能で、潜伏期間の長さから技術的にも完全なスクリーニングが困難で、さらに言えばコウモリなど移動能力の高い動物との人畜共通感染症の可能性も高い以上[a]、流入を完全に止められると私は信じることはできません。

新型コロナウイルスは「気が付いた時には広がり侵入されている」性質の強いものです。2019年の夏ごろには中国国内で一定割合広がっており、秋にはすでに欧州に侵入していたのではないかとする研究もあります[a]。オミクロン株を報告したのは南アフリカの医師でしたが、現在のオミクロン株の広がりを見る限り、報告があった時点ですでに世界にかなり侵入していたと見るのが妥当でしょう。このウイルスに対して水際防御だけを重視した戦い方をしていい結果が得られるとは思えません。

変異株に対する対策の柔軟性を考えれば、ロックダウン/解除といった方略を銀の弾丸とせず、日常の少しずつの対策を怠らないという「ウィズコロナのこころ」を正しく理解したうえで、日常生活を壊さずにコロナ対策をするノウハウを蓄積するのが最も効果的ではないか――というのが私の現在の考えです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?