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私は君の武器屋さん(本日のコンサル後編)

(前編もありますが本投稿のみでもお楽しみいただけます)






コンサルの効能は私自身にも及ぼされる。

隠された武器が自分で見えない、本心の本心の本心が自分で見えない、それは私も同じことである。

対面しながら勧める武器はどれも、私自身が使ったり、使おうと思ったもの。

「それは活かさなきゃもったいないよ〜」なんて言いながら、私自身、(あれ、なんで私これやらなかったんだっけ?やめちゃったんだっけ?)と、心の中でコトン、コトンと転がる音がする。

彼女は今こういう状況。私はあの時はああだったけど、今の私の状況って結構変わってる…?

今やったほうがいいこと、結構変わってる…?

他者を掘り起こしていると、いつのまにか自分の落ち葉も払われて、見たことのないビジョンがちらつく。

この地球のどこかに居る、自分を大絶賛する人々

他人に疲れて、一人になりたくて。そんなことは数え切れない。でも他者というのはある種の神性を持っている。

つまらない意識、見栄や寂寥を取り払ってもなお、無意識から湧き出る、他者に喜ばれたい、認められたいという衝動は、承認欲求という幼稚な言葉で片付けるにはあまりに核心に近過ぎると私は思う。

それは、特定の誰かに喜ばれても、突き詰めようとすれば満たされることがなく、私達はまるで神を求めるかのように渇望する。

そのように私達が渇望するものを神と呼ぶのなら、人は他者の集合意識・集合無意識にこそそれを見ているのではないかと思う。

即心是仏
      —by 馬祖道一禅師

禅の教えでも、今この意識がそのまま仏であるという言葉がある。

どのような他者の視点も、感じ方も、コンサルであると認めざるを得ない。

ただし、親兄妹や腐れ縁というものはもう他人ではないから、余程意識して気を付けないと真逆の停滞を描いてしまうと個人的には感じている。

他人個人が神なのではなく、この地球のどこかに居る、自分を大絶賛する人々を含めた集合意識が神に近いのではないかということだ。

それ故に、コンサルはその辺に落ちている。


失礼な不動産屋のただ一言のコンサル

例えば 、コンサルで私が口にする「もったいない…」という言葉には既視感がある。
十数年も前に、単身の引っ越しで担当してくれた、不動産屋の男性。

20代前半の私の仕事、経歴を聞いて、私の顔を見ながら、口に出した言葉。

「なんか…うん…、もったいないよ…」

状況からして、若い容姿を活かした方が良いとかそういうことなので、内心、(うるせーなぁ)と(可愛い戴きいぇーい)と二つを混ぜて苦笑いで返すしかなかった。

彼は、失礼だな、と思うくらいに、最後まで呟くように「もったいない…」と口にしていた。

それはずっと心に引っかかっていた。その言葉に負けたくないと、時には、軽い痛みに胸を押さえた。


しかし、歳を経る毎に思わされる。


もったいなかったなぁって。


「あの時全力で切り拓いていたら、私は今頃…」って。

武器を選ぶな

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Photo by b-1


全力って言うのは、武器を全部使う事だ。

だから私は言う。


「武器を選ぶな」


私はそう言う。


例えば容姿を武器としてちゃんと装備している子達は強い。

自分が微妙にしか出来なかったのは私が選んだことだから、嫉妬はしない。

だけど、そこに自分のもう一つの道を見る。

容姿の良し悪しじゃない。表情を露出すること自体がマーケティング的に大きな武器だ。

容姿が良かったら、加えて、更に勿体無いだけのことだ。


容姿や露出だけじゃない。
厨二病である事。その時にしか書けなかったこと。

なんでも良いから創り出して、仕舞わずに、大勢の目という命を吹き込むこと。

LUNA SEAやX JAPAN、尾崎豊のデビュー直後の曲を口ずさむ度に、「厨二」である時にしか感じられない世界は希少ですぐに消える宝石だったのだと思う。全力でそれを現世に焼き付けることをできた者だけが、二度と手に入らない光を永遠にできるのだと思う。

もちろん、クリエイターならば誰しもが 、「厨二」その時に発表しているかどうかに関わらず、その時の感性を大切に、自分の中で消えないように抱きしめ、「現在」に輝きを与える大切な材料としていることと思う。

しかし「厨二」をリアルタイムに顕現させた作品の輝きは特別だ。


沢山の、私の君のもう一つの道を辿ったスポットライトを浴びる人たちを見て共通すること、それは、彼らは武器を選ばなかったこと。

そうしないなら、そこに行かなくて良いって言っているのと同じことだ。

だから私はやっぱり言う。
切り拓きたいならお前の武器を全部使え、って。

体は、お前のもんじゃない。神さまのもんだって。

言い過ぎじゃない。

魂はお前のものだけど、体は借り物。
借り主は確かにお前の魂だけど、借り物だから、少しずつ返さなきゃいけない。

それが、労働に汗を流すと言う事。

それが、他の人の笑顔のために、体の、命の残り時間を使うということ。

お仕事。

Youtuberだって良い。
例えば子供Youtuberのまーちゃんおーちゃんは、私の一人っ子の娘の、姉兄代わりになって遊びを教えてくれる大切な子達。

遊んで稼いで良い。遊んで稼いでいる人はちゃんと、カメラ越しに「遊んでくれている」人だ。


他人と自分が笑顔になればそれでいい。

ちょっと危なくたってそれで良い。

帰って来れればそれで良い。


何なら脱ぐか?今からでも脱ぐか?
え?違う?
そういう話じゃなかった気がするし、そういう話だった気もする。

そうして少しずつ、借り物である肉体の力を、貸してくれた何か(それは世界)に返して行くことが、生きることなんだなと今は思っている。






全裸で。





※但し書き※お茶会セミナー系コンサル、転売コンサル、MLM(マルチ)のコンサルは出来ません。


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