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遊べや新年

令和初めての元旦を迎えた。

開いて下さったあなたが、心身暖かく新年を過ごされていたら嬉しいと思う。

書く時間が確保出来ないまま新年を迎えた。

一番の原因は、また色々手を出し過ぎて落ち着かないという私の状況だ。

加えて娘の成長というものも、利き手を掴む一つの強い力になっている。

新生児、
乳児、
幼児。

みんな赤ちゃんだろと正直思っていたのは大間違いだった。

新生児、乳児、幼児、全て別の生き物だった。

新生児は、乳を吸うのさえ下手だ。痛くて泣いた。寝ない。泣いた。でも新生児期は神聖すぎた。
乳児は、乳から離れない。体が痛くて泣いた。寝ない。重い。泣いた。まだまだ神聖で泣いた。
幼児になってやっと、外の世界を求め出した。泣いた。


ママの状態も、全く違う。

元気ママとか、働きたいとか、元気が爆発するのは幼児になってからだ。

新生児期始まってから、乳児期に安定するまではサバイバルだ。実際、死亡率が高い時期なのだから大げさではない。

寝かせてくれ。水分とらせてくれ。トイレに行かせてくれ。

赤ちゃん王制の奴隷として働く代わりに、右手でスマホを打つ隙を見つけることもできた。

noteを始めた1年前、娘はまだまだ幼児で、一緒に居る時でも脳はスマホ入力に集中できる時間を取れた。

しかし、今はそうは行かない。

娘は幼児から、かなり子供になった。

話が通じるのだ。
目を見て意思疎通できるのだ。

来ました。
家に人が。

遊び相手の要求は小さな頃からだったが、「ママー!」から「一緒にあーそーぼー!」に変わり、遊びの内容も知性を要求するものになった。
人形遊び、迷路、娘の場合は特に物語性を求め、細かい設定などが出てきた。

こちらがちゃんと聞いておらず間違えると怒る。

ちょっとこちらの集中力を要してきた。
彼女が求めるのは、物語の持続性や面白い返しや展開だ。

つまり「一人前の人として扱うことへの期待」がとても明確になった。


新生児から幼児、子供へ、完全に変身するわけではなくて、ある部分はずっと幼児であり、ずっと赤ちゃんである。それを大事にしたいと思っているし、ママの前では赤ちゃんになりたい時は赤ちゃんになって良いんだよと本人にいつも伝えている。

でも、一人前の割合が増えた。

家に、一人前の人間が増え、気遣いを要する。

そういう時が来るとは思っていたし、人間の大人になる以上当たり前のことだった。

それはもちろん喜ばしいことだ。

一人前の扱いへの要求は強くなったが、親である私に対する扱いも、人並みになってきた。

交渉が出来るようになってきた。

「今お仕事するからあーとーで…」

そう伝えても、幼児っぽい頃はわかってくれなかったけれど、子供になりつつある今は「いーいーよー」と言ってくれる。

ただし、「お仕事終わった?」「まだお仕事?」と、しっかりした目で訊いてくる。

交渉はできるものの、誤魔化せない。

「終わったよ!いーいーよ」と、期待に応えなければならない。

それでも凄い待遇の改善だ。
かつてはトイレに行くお許しも貰えない完全なる奴隷として認識されていた。

奴隷が、お気に入りのメイドまで昇格したようだ。

こうして、思春期に向かって育って行くんだなあと思う。

けれど、「よちよち」で済ませたい自分がいる。

今彼女は、育った集中力を、全力で自分の好きな遊びに投入する。
アナ雪城はクリスマスにサンタさんがくれたものなので無碍にもできず、要求を呑んでいたところ、6時間ノンストップアナ雪城ごっこだ。

大晦日のスペシャル番組並みだ。

だから外に行く誘導を大人がしなければ一日がいつのまにか人形遊びで終わる。

私は人形遊びは一番苦手ですぐに頭痛がするので、夫に任せるが、夫に任せるとよく一日を終わらせていた。
最近は学習したようだ。

ママでもパパでもなく「遊び相手」を真剣に求めるように成長した娘を見て、弟妹というものについて考える。

「お姉ちゃんにしてあげたい」「お兄ちゃんにしてあげたい」という言葉が大嫌いだった。

一つの命という物凄く重いものの発生へ手綱、その一部でも、親以外ましてや子供に握らすなよと思う。

子供の「弟妹欲しい」なんておもちゃと同列だろうと思っていた。

しかし、弟妹に憧れる眼差しは他で見れない切実さだ。
また、赤ちゃん人形への甲斐甲斐しさは、胸が痛むほど。

周知の通り私は「女の子だから〜」が大嫌いなので、赤ちゃん人形など与えたくなかったし、誘導も一切していないが、保育園やおもちゃ売り場の赤ちゃんを愛して止まない。

本物に対しても、友人の赤ちゃんが大泣きしている爆音を物ともせず、おもちゃであやそうとしている様は、私よりもずっと赤ちゃんに寄り添っていた。

保育園で吸収したものだろうけど、3歳の娘は私が否定を挟む余地無く赤ちゃんが好きなのだと、思い知った。

世の中に兄弟姉妹が多いのは、既成概念とか親の浅知恵とかではなく、「そういう自然なのだ」と考えを改めた。

「親」ではなく「遊び相手」を切望する娘を見て余計にそう思う。

私は、娘という子供の自然を一番大切に思っている。

こんな可愛すぎて宇宙の法則が乱れる存在は一人で充分で、それ以上居たら色々危ないだろというのが私達夫婦の認識だったけど、今は自然に任せても良いのかなと思っている。

はてさて、私はトイレに行くお許しも貰えない完全なる奴隷から、お気に入りのメイドまで昇格したようだ。

書く時間が上手く取れないけれど、ちゃんと貯まっている。

一年半noteをやってみて、貯めたモノはちゃんと引き摺り出せる物なんだとわかったから、その点に関しては焦っていない。

だから今は書く以外のことで地均ししたいと思う。

私はそうしなきゃいけないんじゃなくて、そうしたいんだと思う。


段々と娘の「あーそーぼー」が、「あーそーべー」に変わってきて、先程からはっきり「あーそーベー」と聞こえる。

ついに命令形になったようだが、状況としてより正しいので直すことができない。



それとも啓示かもしれない。今年は遊べ。



欅坂46ひらてち凄く良かったち。
明けましておめでとうございます。

令和二年元日 樫尾キリヱ


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