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キルギスからの便り(27) バスで国境を越える―キルギスからカザフスタン



カザフスタン国旗が包装デザインされたチョコレート。キルギスのスーパーでも販売されている。

投稿日 2022年1月20日 

 民間人が宇宙旅行をできる昨今、お金さえあればどこへだって行けるように思える。コロナ禍前は世界最強と呼ばれる日本のパスポートを携えていれば、ほぼ世界中を飛び回ることができた。

 しかしどんなに恵まれた日本人でも、いや厳密に言うと「日本で生まれた人」には99%不可能なことがある。それは生まれて初めての国境越えを陸路で行うことだ。島国の日本にとって外国はすなわち海外。自国を出るには必ず飛行機か船で海を渡らなければいけない。

生まれて初めて陸路で国境を越える

 キルギスで私が生まれて初めて体験したことのひとつが、バスでの国境越えだった。普段生活している国から外国へ行く手段がバスというのは日本で考えると不思議な気分だが、大陸には多くの国が地続きで存在する。政治的問題を抱えていなければ隣国へ鉄道や車で行くことはたやすい。

 行き先はカザフスタンのアルマティだった。同国最大の都市でかつての首都である。新年早々反政府デモで騒然とした場所だが、普段は危ない雰囲気などまったくなく、気軽に往来できる街だった。アルマはカザフ語でりんご、アルマティはりんごの里を意味し、昔は近郊にりんごの木がたくさん生えていたそうだ。今ではアルマティのりんごの味について耳にすることはないが、かわって、なぜだか当地のチョコレートがおいしいと言われている。

 キルギスの首都ビシュケクからは空路もあるがバスでも4時間位で着く。最近はビシュケクにもショッピングモールやカフェが増え、日常を楽しむことにそれほど不自由はしないけれど、以前は衣料品などのちょっとした買い物のためにアルマティへ行く人も少なくなかった。

 日本から見ればアルマティとビシュケクの間にそれ程大きな違いがあるとも思えないが、ケンタッキーフライドチキン以外に国際的なチェーン店が皆無のキルギスに住んでいると、スターバックスコーヒーやH&Mがある規模のアルマティは、少しおしゃれで都会化されているように映ったものだ。

 バスで4時間程度とは書いたが、それはバスが走る所要時間である。午前8時にバスに乗り込めば昼の12時にアルマティに着く訳ではない。なぜか。バスは乗客が満たされてから出発するので、前のバスが発車した直後の空席だらけのタイミングで乗り込むと、一定数の乗客が来るまでずっと待たなければならないのだ。短距離、長距離問わず、この国では多くのバスがそのようなシステムで動く。車両は市内を走っているのと同様の中古のマイクロバスなので、リクライニングシートやトイレの備えはない。

 荷物をトランクに預けて座席に腰を下ろし、運転手から渡された乗客名簿とおぼしき紙に名前を書いてから、ゆうに1時間以上待ち、しびれを切らした頃にようやく出発。程なくして国境に着いた。

 全員がバスを降りて国境検問所で手続きをする。この時に自分の乗っていたバスのナンバーや運転手の顔を覚えておく必要がある。手続きを終えた後、カザフスタン側にまわっているバスに間違わずに乗り込まなければいけないし、万が一置いてけぼりにされたら大変だからだ。

 他のバスから降りた人も含めたくさんの人が検問所に向かって歩いている。この流れに身を任せて順に歩いていれば何とかなるかと思ったが、不安もあった。そこで同じバスの隣に座っていた若い女性に降車間もなく声をかけた。「私は外国人でここを通るのは初めてなんだけど…」とでも言ったかどうか覚えてはいないが、彼女はとりあえず「私のそばにいて。一緒に通過しましょう」と言ってくれた。聞けば彼女はカザフ人の大学生で、休暇でキルギスの親せきの家に滞在していたという。アルマティ市内にある大学の寮へ向かうところだった。

押し合いへし合いしながら検問所へ

 アルマティへ行った経験のある日本人たちからは、国境がそれ程込み合っているとは聞いていなかったので、その時の検問所の込み具合は予想外だった。タイミングが悪かったのか、カザフスタンへの入国者側に長蛇の列ができていた。日本のように整然と並ぶ訳でもないので、押し合いへし合いしつつ、女性から離れないよう気を付けていた。

 普通、空港の出入国審査前に並ぶ人々には、ちょっとした緊張感が見られて、日常を離れるという雰囲気が漂う。しかしこの検問所にいる人たちにはそんな空気は感じられない。携えている荷物こそ多いが、服もバッグも靴も日常と何ら変わりないし、表情にはうれしさも緊張感も見られない。農産物や雑貨などの物資を抱えていたり、リヤカーに積んで引いていたりもする。

 外国人の私は書類への記入が必要で手間取るが、他の人たちは何もせずに並んでいる。よく見るとパスポートではなくカードのようなものを提示するだけでさっさと審査を済ませる人もいた。どうやら商売などで日常的に国境を通過する人がたくさんいるようだ。

 私の番が来た。カメラに視線を向けて、パスポートを差し出す。日本人と分かると係官はこちらを見て面白そうな顔をして話しかけてきた。国境なら外国人はそんなに珍しいはずもないのに。具体的なやり取りは覚えていないが、審査の係官がそんなにくだけた雰囲気で話をして良いものかと思った。だが係官のやわらかい対応とは裏腹に、やはりそこは出入国管理である。外国人はチェック要件が多いのか想像以上に時間がかかった。私の後ろに並んでいた人たちは随分待たされて、ハズレの列についたと思ったに違いない。

 審査が終わってカザフスタン側へ入る頃には、一緒にいた女性の姿を完全に見失っていた。仕方がないなあと思いつつ歩いていると、間もなく彼女がこちらを向いて待っているのが目に入った。ほっとした。彼女も安堵の表情になった。

 バスは無事にすべての乗客を乗せて再び走り出した。国が変わろうとも道は続くし景色もさほど変わらない気がした。ただひとつだけ、小さな変化があった。それはきれいに舗装された道路が目の前に広がっていることだった。

舗装の違いで国富の差がわかる

カザフスタンに入ってしばらくすると車窓から風力発電の大きな風車が見えてきた。

 キルギス側もアスファルト舗装だが、ひび割れや陥没が多いし砂埃も上がる。それがカザフスタンに入った途端、滑らかな路面になった。同国は石油や天然ガス、鉱物資源に恵まれている。その富が国民に行き渡っていないという不満が新年の反政府デモにあらわれていたのだが、それでも農業以外に目立った産業のないキルギスに比べればインフラの整備は進んでいるのだろう。

 国の豊かさの違いを如実に感じた。同じ大陸の土の上に同じ空が続いているけれど、人間がつくったものだけは同じようには続いていない。日本では知り得ない国境のありようだった。しばらくすると大きな風力発電群が目に入ってきた。中央アジアの彼の地でも再生可能エネルギーへの取り組みは行われているのだ。

 混雑した検問所やマイクロバスのかたい座席で少々疲れた移動だったが、夕刻前には無事にアルマティに着いた。その先のアルマティ観光の話は改めて別の回に紹介したい。

 日本にいるとバスでの国境通過は経験できないが、反対に内陸国キルギスに暮らす人々にとっては青い海を渡って外国へ行く環境こそ珍しいだろう。

 そうだ、せっかく島国に生まれたのだから、飛行機だけでなく、船での外国渡航も実現させたい。

 コロナ禍だから当面はむずかしい?いやいやそんな時こそ、心に思い描いて実現を待ちわびましょう!


 

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