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キルギスからの便り(36)人前で「私」を慎む国さらけ出す国

 トヴォログや停電に出合うより早く、キルギスへ向かう移動中にすでに現地の空気を実感させられる場面があった。 
 話は前後したが、4年ぶりとなった今回の日本―キルギス間の移動について触れながら、その出来事をつづりたい。

 過去2018年、19年にキルギスヘわたる際は、いずれもロシアの航空会社S7を使って、成田からノボシビルスク経由で首都ビシュケクへ入っていたが、ロシアのウクライナ侵攻後である今回は、韓国のLCC(格安航空会社)ティーウェイ航空を利用した。乗り継ぎは仁川(インチョン)での1度だけだ。成田を午後に発ってその日の深夜(正確には翌日未明)にビシュケクへ入ることができる。

 韓国からの直行便があることを不思議に思われるかもしれないが、キルギスには韓国人が一定数住んでいて、バザールにはキムチ類を売っているお店があるし、ビシュケクには韓国料理店も多い。2020年の新型コロナ流行初期に国際線が停止した際、韓国からキルギスへチャーター便が出て、日本人も同乗できたことで私は無事に日本へ帰国できた。

 ティーウェイ航空は日本発の便だとオンラインでの事前チェックインはできないため、成田ではチェックインカウンターに並ぶことになる。3時間前にカウンターへ向かったが、すでに長い列ができていた。

 韓国行きだから周囲の人々の口から韓国語が聞こえてくるのは当然として、そうではない言葉も聞こえてきた。聞き覚えのある言語だ。
 そう、ロシア語である。しかも少し訛りがあるというか発声、発音がモスクワ標準ではないロシア語だった。旧ソ連の地域では今でもロシア語を話す民族が多いが、その特徴には確かに聞き覚えがあり、キルギス人の話すロシア語だと確信した。

 その気になって行列の中の人々を見ると、4年前まで日常的に目にしたような顔が見受けられ、日本人や韓国人と明らかに違う(と私には思われる)容姿だ。キルギス人と日本人は似ているとも言われるが、頭のてっぺんから足の先までの全身、身のこなし、身に着ける衣服や持ち物など総合的に判断すれば、違いは一目瞭然である。

 同じ仁川経由で帰る人々なのだろう。日本へも少なからぬキルギス人が来ていることに少しおどろきつつ、言葉や容貌の微妙な差異から「キルギス人」の特徴を感じ取っている自分に気付いた。

 成田から仁川に着き、仁川発ビシュケク行きの出発ロビーに腰をおろすと、そこはもうキルギスの始まりだった。この時点で周囲にいる圧倒的多数がキルギスの人々なのだから、すでに彼らの外見でキルギスを感じるのは当然だが、さらにキルギスの雰囲気を濃厚にする要素があった。

 スマートフォンとの向き合い方である。私の座ったベンチの同列の端に腰掛ける男性はこちらまでしっかり聞こえる音量で動画を見ているし、一列隔てた前方の女性の一団はモニターの向こうの音声も聞こえる状態でビデオ電話で話していた。

 機内では私の隣に友人か家族らしい女性2人が並んでいて、飛行機が動き出すと、隣の女性はイヤホンなしで音楽をかけ始め、横の女性とふたりで聞き始めた。その音楽は日本や欧米諸国の流行の音楽とは全く違っていて、4年前までは始終耳にしていたようなリズムとメロディーだった。彼女達は結局、飛行機のエンジン音が大きくなり音楽がかき消される離陸直前まで音楽を聞き続けた。

 イヤホンもせずに周囲に聞こえる音量で音楽を鳴らされたら、迷惑だと思うだろうが、その時の私は「ああキルギスだな」という感慨を覚えた。キルギス独特の曲を聞いた懐かしさではない。キルギス人のスマートフォンとの向き合い方に彼らの日常が如実に表れていたからだ。

 日本では、人前での通話は控え、動画や音楽もイヤホンで視聴し、各人がスマホで何をしているのか分からない静けさが保たれているが、キルギスでは歩行中でもバスの中でも、周囲に人がいてもいなくても、その人が聞いている音楽も話している相手との会話も分かるようなことが珍しくない。そして相手の顔を見ながらビデオ通話をする人がとても多い。
 公共の場は静かにして、自分のしていることは周囲に分からないようにする、という概念が薄いのだろう。

 日本人が本にブックカバーをかけるのは、本をきれいに保つだけでなく、読んでいる本を周囲に知られたくないため、と聞いたことがある。
 公共の場で「私」を慎み、隠そうとする国と、「私」をさらけ出すことに抵抗のない国。空港や機内でキルギス人がスマートフォンを使う様子は、その違いを如実に感じさせるものだった。
 
 






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