将軍に関する演習問題【中学受験】
次の文章を読んで、問いに答えなさい。
将軍とは、征夷大将軍を縮めた言い方である。元々は、【 X 】天皇が生きた時代に、東北地方に住み、朝廷に従わない人たち(=蝦夷)を征伐するためのリーダーを指した。
後に、征夷大将軍は本来の東北地方を征伐するリーダーではなく、武家勢力の権威の指標ともなり、また、将軍が開いた政府を、幕府と呼ぶようになる。このリード文をふまえて、下記の【A】~【D】の文章を展開する。
【A】
( ① )が将軍になると、敵対する勢力や巨大な大名勢力を次々と配下に収めるようになる。また、( ② )年に南北朝を統一した。さらに、勘合貿易と呼ばれた( ③ )との貿易では、日本国王を名乗った。
【B】
三代将軍の( ④ )が暗殺されると、将軍には皇族が就いた。しかし、事実上幕府の実権を握ったのは、( ⑤ )という将軍の補佐役であった。特に、8代( ⑤ )の( ⑥ )のときに、元が日本を支配しようと、2度襲来したが、2度とも撃退した。
【C】
源義仲も、征夷大将軍になったという説がある。彼は、信濃で挙兵し、【 Y 】の戦いで平氏に勝ち、京都に入った。京都では、後白河法皇や、後の【 Z 】上皇となる皇子を寺に幽閉し、征夷大将軍を名乗ったとされる。こうした、院をはじめとする公家との対立によって、院と手を結んだ源頼朝が、源義経を派遣して源義仲を討った。
【D】
幕府の財政難で、当時紀伊藩の藩主であった( ⑦ )が、八代将軍となった。彼は( ⑧ )の改革といわれる様々な取り組みに着手した。
「い」・・・庶民の意見を政治に反映させるために、( ⑨ )を江戸の中に設置した。その結果、無料で診療が受けられる小石川養生所が開所した。
「ろ」・・・飢饉対策のため、青木昆陽に命じて甘藷の栽培をさせた。
「は」・・・石高1万石あたり100石の米を納めさせ、幕府の税収増加を図った。その代わり、参勤交代を緩和した。
「に」・・・新田開発を行った。
こうした改革の裏には、「御恥辱を顧みられず仰せ出され候」という言葉が大名に向けたお触書にあり、幕府も苦悩したようだ。
(1)空欄①~⑨にあてはまる適切な語句を答えなさい。
(2)【 X 】にあてはまる適切なものを、記号で選びなさい。
ア:推古 イ:聖武 ウ:桓武 エ:白河
(3)「蝦夷」の読み方を、「えぞ」以外に1つ答えなさい。
(4)勘合貿易に際して、( ③ )はある海賊勢力の鎮圧を将軍に要求した。その勢力とは何か、答えなさい。
(5)勘合貿易について、適切なものを、記号で選びなさい。
ア:代替わりした将軍の方針によって、中断する時期があった。
イ:日本からの輸出品は、陶磁器、銅銭などであった。
ウ:日本と( ④ )は、対等な関係で貿易を行った。
エ:堺・博多の商人が貿易の利益を得るようになった。
(6)元の2度にわたる襲来に関連して、ふさわしくないものを、記号で選びなさい。
ア:この頃、幕府に向けて国難を予告した手紙を書いたのが、日蓮であった。
イ:1274年の弘安の役では、元軍は上陸していない。
ウ:元軍には、朝鮮半島に住む人たちも動員されていた。
エ:元を撃退した後、借金に苦しむ御家人が続出したので、幕府は永仁の徳政令を出した。
(7)【 Y 】にあてはまる戦いの名前を、記号で選びなさい。
ア:倶利伽羅峠 イ:一の谷 ウ:屋島 エ:壇の浦
(8)【 Z 】の上皇は、後に承久の乱を起こし、隠岐に流された。その上皇の名前を、記号で選びなさい。
ア:崇徳 イ:安徳 ウ:鳥羽 エ:後鳥羽
(9)紀伊藩とは、現在の何県か記号で答えなさい。
ア:栃木県 イ:岐阜県 ウ:和歌山県 エ:広島県
(10)甘藷とは何か記号で答えなさい。
ア:とうもろこし イ:さつまいも ウ:トマト エ:りんご
(11)「御恥辱を顧みられず仰せ出され候」とは、「い」~「に」のうち、具体的にどれに対して言及したものか。「い」~「に」のうちから選びなさい。
(12)【A】~【D】を古い順に並べ替えたとき、3番目になるのはどれか記号で答えなさい。
【答え】
(1)①足利義満②1392③明④源実朝⑤執権⑥北条時宗⑦徳川吉宗⑧享保⑨目安箱
(2)ウ (3)えみし/えびす (4)倭寇 (5)エ (6)イ (7)ア (8)エ (9)ウ (10)イ (11)は (12)A
【軽く解説】
大前提:わからない選択肢があれば、わかりそうな選択肢をたしかめる。
(1)②1392年―足利義満→(孫なので60年ぐらい足して)→1467年―足利義政(足利義満の孫)の組み合わせは知っとくと楽。なお、日明貿易開始は1401年。
(2)平安京の造営・強力な政権ができる→外部を武力を支配する余裕あり。
推古は蘇我氏を動かせるほどの力はない。聖武は飢饉で必死。白河は逆に地方の武士が力をつけてくる頃。
(5)勘合貿易は、朝貢貿易。明に頭を下げて貿易させてもらう。これに抵抗感を持つ将軍もいた。輸入品として陶磁器・銅銭など。陶磁器は朝鮮出兵で陶工を連れて有田焼・伊万里焼になっていったこともおぼえておくと、陶磁器を輸出できるレベルでないことがわかる。また、銅銭の輸入・商人の力がついたことによって、貨幣経済が徐々に発達。後の時代に戦国武将が商人から金を借りる流れへ。
(6)ア・ウ・エを知らなくとも、イの1274(位置になし)文永の役をおぼえていれば解ける。1281(位置に配置)弘安の役。弘安の役では防塁を準備し、元軍の上陸を許さなかった。また、1279年に南宋が滅びており、この勢いで日本にまで来た。
(7)イ・ウ・エに義仲は関わっていない。知らない選択肢が答えになるというこの手の選択肢問題が厄介だが、勇気をもって選ぶことも大事。でも、間違えたとしても仕方ない。
(11)御恥辱とは何か。幕府の権威が落ちること。参勤交代を緩和させるという家康~家光の時代にはとうてい考えられなかった譲歩を見せた。