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教養とは何か?(2) ~現代の教養~

前編「教養とは何か?(1) ~教養の歴史~」はこちら!


現代における教養とはどのようなものか?

さて、教養学部では教養を「適切に意思決定する能力」と定義しました。しかし、このままでは独りよがりの結論にすぎないでしょう。

そこで教養に関する代表的な書物から、それぞれの著者による定義を見てみることにしましょう。


阿部謹也(一橋大学元学長)

「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況」を「教養」があるというのである。


清水真木(明治大学教授)

「家庭か仕事か」のような衝突のあいだで巧みに折り合いをつける能力。一人の人間が帰属している複数の社会集団、組織のあいだの利害を調整する能力。(教養学部要約)
いつ、どこで何をしているときにも変化することのない「自分らしさ」なるものを見つけ出すプロセスと、このプロセスの結果として見出されるはずの「自分らしさ」。


立花隆(文筆家)

現代の教養としての4つの知的能力
1. 論を立てる能力 2. 計画を立てる能力
3. 情報能力 4. 発想力

*肩書き、職位などは2011年11月現在。


著者の表現はさまざまですが、やや強引ながら、それらの行き着く先は結局「適切に意思決定する能力」ではないでしょうか?

適切に意思決定する能力があるから、「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知」(阿部)ることができます。同様に、適切に意思決定する能力があるから「「家庭か仕事か」のような衝突のあいだで巧みに折り合いをつけ」(清水)られるのであり、「帰属している複数の社会集団、組織のあいだの利害を調整する」(清水)ことができるのです。

立花隆のいう「現代の教養としての4つの知的能力」は、「適切に意思決定する能力」の前提であり、また、細分化したものです。適切に意思決定するためには、その前提として情報能力が必要です。そして、論を立てる能力、計画を立てる能力、発想力とは、適切に意思決定する能力の一部です。

教養の最大公約数的な定義を試みるなら、「適切に意思決定する能力」こそが現代的な定義に適うといえます。


適切に意思決定するために必要な能力

それでは、適切に意思決定するためには、どのような能力が必要なのでしょうか?

社会学研究者Bent Flyvbjergは、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を参照して、知を次の3つに分類しました。


エピステーメー (episteme)
書籍で学べる客観的知識。教科書に書いてある知識、筆記試験で問われる知識など。

テクネー (techne)
経験的に習得できる主観的知識。スキル、コツ、勘、職人の技など。

フロネシス (phronesis)
高度な主観的知性。賢慮ともいう。価値観、倫理観、世界観、人生観、感性、アイデンティティなど。


このモデルは、幅広い知識としてのエピステーメー、それを自由に使いこなすためのテクネー、そこから導き出された合理的な解が自分にふさわしいかを判定するフロネシスから成り立ちます。

教養学部では、これら3つの知をバランスよく習得することで、適切に意思決定する能力(=教養)を培うことができると考えています。


参考文献

・アリストテレス / 朴 一功 (翻訳) 『ニコマコス倫理学』 京都大学学術出版会 2002年
・阿部 謹也 『「教養」とは何か』 講談社現代新書 1997年
・清水 真木 『これが「教養」だ』 新潮新書 2010年
・立花 隆 『東大生はバカになったか』 文春文庫 2004年
・野中 郁次郎 / 紺野 登 『美徳の経営』 NTT出版 2007年

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