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助けられなかった。

数年前のある日。
車で家を出てすぐそこ。歩いてもすぐそこのご近所。
小さな犬が、視界の片隅に入った。

あれ?(飼主は?)なんとなく違和感を感じて。そちらに視線を向ける。
え?!
人が倒れている?

舗装された生活道と僅か数センチの段差で区切られた畑の地面に。
俯せに横たわっている人が見えた。
え?!
ひと?

何がおきているのか、理解できないままに、体が動いていた。
車を停めて、とびおり、かけよる。
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?」
肩を叩きながら、言っていた。たぶん高速で。

反応は無い。ぴくりとも動かない。
え?まさか?死んでる?
そっと首に触れてみた。脈は触れない。(たとえあっても、パニックでわからなかったと思う。)
体温が残っている。
まだそんなに経っていないかもしれない。

俯せで顔がわからない。怖い。
動かない人はとても重く、少し押したくらいでは、びくともしない。
ひっくり返してよいのだろうか。一瞬躊躇する。

ひとりじゃ無理と瞬間で悟って。
「だぁれぇかぁー。きてぇー!」と、叫びながら。
ポケットから取り出した携帯で119を押した。
押せたかどうかわからないけど。それはすぐにつながった。

「落ち着いて下さい。」「ゆっくり喋って。」
そんな声を電話の向こうに聞き、縺れる舌で訊かれたことに答えながら、道むかいのママ友の家のチャイムを連打して。ピンポンダッシュで現場に戻る。

俯せの人をどうやって仰向けにしたかは覚えていない。
顔はチアノーゼで腫れていて、あとでよく知る知人とわかるが、その時は誰かがわからなかった。

誰も来ない中、ひとりで胸骨圧迫を続けている時間が、とてつもなく長く感じた。「助かって」「助けて」何かわからないことを叫びながら。

カーラーの救命曲線が、脳裏によぎって消えない。
倒れてどのくらい経っていたのだろう。到着から蘇生開始まで、何秒くらいかかっただろう。
泣きそうになりながら、ただ必死に胸骨圧迫を続けていた。

近所の方たちが集まってきた。
みんな事情がわからずおろおろしている。
一瞬、AEDのことが、脳裏をよぎったけど。
一番近くの設置場所は、学校か公民館。少し距離があって、往復するよりかは、消防署のほうが近い。救急車の到着のほうが早いかもと、言葉を飲みこんでしまったことは、いまだに後悔している。

ひとりでの胸骨圧迫はそろそろ限界だった。
集まってきたのは、ご年配の方ばかりで、交代を頼めそうな人はいない。(交代要員にと)主人を呼んで来て!と叫ぶ。
(中途半端に道を塞ぐ形で停めていた車を、救急車が来る前に動かしてもらえたので、これは正解だった。)

救急車はまだ来ない。
遅い。遅すぎる。

わたしの叫び声をきいて、ご近所のママ友や子どもたちも集まってきた。
「誰かこの方わかりますか?」
「▲▼の○○さんじゃない?」
「誰か家はわかる?」
「家の人を呼びに行ってくる。」
まわりで、ご近所さんが動き出した。

ママ友に胸骨圧迫を代わってもらって。
いつも持っているキューマスクのことを思い出す。

キューマスクを装着して、ゆっくりと息を吹き込む。
数回吹き込んだところで、体内からごぼごぼごぼと音がして。
数秒の間をおいて、嘔吐物が出てきた。
慌ててママ友が体を横にすると、嘔吐物の生暖かい感触。
どうしよう。なすすべもなく、ふたりで顔を見合わせたその時。

近づいていた救急車のサイレンが、すぐ横で止まった。
急に力が抜けて、体の震えが止まらなくなる。
救急隊が目の前で動いているのを、呆然と見つめるわたし。
「脈あります。」という、隊員の声だけが耳に残っている。

蘇生したんだ。生きてるんだ。助かるかも。
ほっとしたと同時に、波のように寄せてくる後悔。

もう少し早く、家を出ていたら。
もっと早く、蘇生をはじめていたら。
なんであの時、一瞬でも怖いと思ってしまったのだろう。
とてもお世話になった人だったのに、なぜすぐにわからなかったのだろう。
救急隊到着とどちらが早いかわからなくても、AEDを持ってきてと頼むべきではなかったのか。
後悔ばかりでぐちゃぐちゃになっていた。

どうしよう。わたしのせいだ…。
カーラーとドリンカーの救命曲線が、浮かんでは、わたしを責め立てる。
「お願い。助かって。」
叫びのような祈りの気持ち。

翌日未明に亡くなられたことを、後からきいた。
重症の脳出血で、手の施しようがなかった。でも日が変わるまで頑張ってくれたと。
亡くなったのに、助けられなかったのに、感謝の言葉を伝えられて。
「お別れができた。ありがとう。」と言われて。
号泣するしかなかった。

それから1ヶ月くらいの間。
その日の出来事が繰り返し想起されて、涙が止まらなかった。
一番辛いのは家族なのに、助けられなかったわたしが、何故泣いているのだろう。
辛いと思うこと自体が、罪のように感じた。

変わらない日常の中、普通の顔をして生活していたけど。
何をしていても現実じゃない気がして。
夢を見ているようなのに、過覚醒で。
夜も眠れない。

急性ストレス障害かもしれない。
これ以上続くようだったら病院に行かなきゃと、思っているうちに。
少しずつ現実が戻ってきて。
時間が少しずつ、心を癒してくれた。


救急法の講習はとても大切だと思う。
思いがけない場面で、考えるより先に体が動いたのは、10代の頃からずっと、毎年のように受けてきた講習のおかげだったと思う。

だけど、救急法は万全ではない。
とっさの場面でうまく対応できないこともある。どんなにがんばっても、助けられないこともある。
バイスタンダーの心のケアはどうしたらいいんだろう。

わたしの場合は、語ることが助けになった。
信頼できるカウンセラーに。消防士の弟に。同僚の保健師に、心理士に話した。

だけど、衝撃的な体験は、安易に誰にでも話せない。聴いた相手の気持ちを考えると、簡単には口に出せない。軽く話すと軽く流され、さらに傷を深めてしまうし。吐き出せず、自分の中で抱え込んでしまいがちになる。

助けられなかった。と、思うこと自体、自分にどうこうできたかもと考えて苦しむこと自体、間違っているのかもしれない。
おこがましいことなのかもしれない。

だけどやはりいまだに後悔が消えない。
助けられなかったと。

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