見出し画像

催眠商法で布団を買ったおばあちゃんの話

四軒長屋で暮らしはじめたある日のこと。
表が急に騒がしくなり、ドアをノックする音がした。
外に出ると、法被を着た男性がふたり。近所の家々に声をかけていた。

すぐ近くの家の一角で、イベントをしていて。行くと何かもらえるみたいと、ご近所さんが言った。
四軒長屋の両となりのおばあちゃんとお姉さんに誘われて、一緒に行くことになった。

そこには仮ごしらえの紅白のテントがあった。
案内されて中に入ると、既にたくさんのご近所の方々(わたしとお姉さん以外は、ご年配の方ばかり)が、集まっていた。

お兄さんの話は面白かった。漫才のようにふたりでかけあいながら。身の上話や仕事の苦労話からはじまって、話題は商品の説明へ。
いろいろな商品を紹介しながら、配っていく。インスタントラーメンに、調味料、日用雑貨、それから健康に良いという魔法の石。
「欲しい人は手をあげてー」と手を挙げさせながら、いろいろなものを配っていく。

お兄さん方は話術が巧みで、ぽんぽんと弾むように会話が進んでいく。すごいなぁ。
「ボクがこういったら、こう返して下さいね。」と、合いの手を入れる練習もした。お兄さんのかけ声にみんなが合いの手を入れる。周りのおばあちゃん達はみんなノリノリだ。
若干ノリの悪いわたしは、少し浮いていた。

はじめはタダでいろいろ配っていたお兄さんが、「これはタダとはいかないけれど。」と勿体をつけて出してきたのは、健康肌着。
先に配られた魔法の石、トルマリンなんとかが練りこまれた繊維で作られていて、血行が改善し、曲がらなかった関節が曲がり、上がらなかった腕が上がるのだと話す。(実演もしてみせていた。)
「500円!」のかけ声に、数人がさっと手をあげる。
手を挙げた人に肌着を渡しながら「500円といったけれど。」「本当に欲しい人にあげたかったから。」「これはタダでさしあげます。」「今日はみんなタダ、言うたでしょう。」口々に言うお兄さん。

そして話は佳境に入る。
「実はここだけの話。」と。奥から高そうな布団が出てきた。
先に紹介された石を練り込んだ素材が使われていて、とても高級なものだけれど。特別に20万円で提供できるというお兄さん。(わたしの拙い文章力では表現できないけど、お兄さんの巧みな話術で、目の前の布団は輝いていた。たぶんそこにいたみんな。とても良い布団だと信じて疑わなかった。)

「これは特別だから。本当に欲しい人だけ。」目を閉じて、名前を書いた紙をお兄さんに渡すように言われた。渡した人だけその場に残って、その他の人は帰ってよいよと言われて。

驚いたのは、十数人もいた人々の中、外に出たのが、わたしと、となりのお姉さん、ふたりだけだったこと。その場にいた年配の方々全員が、お兄さんに紙を渡していたこと。(20万円の布団のために。)

後から戻ってきた、となりのおばあちゃんに話を聴いた。
わたしたちが出た後、紙に書いた名前を読み上げられて、返事をした人だけ、残ったらしい。お隠れになっても(返事をしなくても)よいですと言われて返事をしなかった人、返事はしたけれどあとで撤回した方もいて、残った方全員が布団を買ったわけではないらしい。
それでも布団を買った人が数人いて、そのひとりが、となりのおばあちゃんだった。

「すごく良い布団なの。」「息子にあげようと思って。」と話すおばあちゃん。
「良い物が買えて良かった!」と、手放しで喜んでいるおばあちゃん。

頭のどこか片隅で違和感を感じながら(そもそも息子さん、布団を喜ぶのかしらと思いながら)社会経験乏しい16歳。(当時はインターネットなど無かったし。テレビも電話も無い生活で。)世間知らず。悪徳商法のことも、催眠商法のことも、もちろんクーリングオフのことなど、知らなかったわたしは、良い布団を買えたと喜んでいるおばあちゃんを前に、何も言うことができなかった。

数日後「息子から怒られた。」と、寂しそうに話すおばあちゃんは、数日前のテンションが嘘のように落ち込んでいた。
息子さんが来てバタバタと何かしていたけど。解約できたのかどうかまでは聞かなかった。

騙されるのがおかしいと言う人もいるけど。
あの時はみんな騙されていた。同調していた。
あの話術、あの場の雰囲気、あのノリに。

紹介されたのが、膝が曲がるようになるサポーターとか、健康グッズとかではなかったら、わたしも買っていたかもしれない。(無職で金欠の未成年には売ってくれないだろうけど。)

そんな雰囲気がそこにはあった。


催眠商法は形を変えて、今も続いている。
より巧妙になっているような気もする。

健康教室に通っていると話すおばあちゃん。
(こちらは長屋のおばあちゃんではなく、わたしの実祖母の最近の話)
行くと何かしらお土産がもらえるらしい。パンやら海苔やら醤油やら。食べきれないくらいもらってきて、お裾分け(というよりほとんど全部)をわたしたち(孫)にくれる。

「良い話を聴かせてもらうだけで、無理に売りつけられたりはしないよ。」「もらうだけで何も買わない人もいるしね。」
…などと言いながら、「これは良い物だから」と、高級な健康食品や、電解水の機械を購入しているおばあちゃん。
(アンタが買ってるんやん。と思うワタシ。)

話を聴いていると、ご近所さんの社交場にもなっているようだ。
購入することで、待遇が良くなり、チヤホヤされるのも、相手の戦略のひとつなのだろう。

詐欺師というのは9割は善良で誠実で真実を述べる(残りの1割で嘘をつく)というのが、世の中の常であるからして。
騙されているよと言ったところで、既に人間関係が出来上がってしまっているのだから、聴く耳を持たない。
遠くの孫より近くの他人。

悪徳商法は、人の心を掴む技に長けている。
おばあちゃんも、たぶんわかっているのだ。みんなじゃないけど、気づいている人もいる。
カモにされているかもとわかっていてなお。騙されていても良いというのだから厄介だ。

今はわたしもそれなりには詳しくなって。
高齢や障害の方と関わる仕事柄もあり、相談を受ける機会も増えた。
だけど、知識と対策だけでは、どうにもならないひとの心に。迷うことも多くある。

うん十年前のあの日。
催眠商法のテントの中で、お兄さんの話術に引き込まれていた自分と。
布団を買ったおばあちゃんの気持ちに思いを馳せてみる。


四軒長屋のひとり暮らし


気まぐれに更新しています。