10歳から22歳の美沙へ。
美沙へ
すこしおそくなってしまったけど、10さいのおたんじょうびおめでとう。
美沙はほんとうにいろんなことがんばっているね。
そんなところはすごいなっておもうし、かなわないっておもうよ。
かんじがなかなかよめないこと、きっとくやしいなとおもうこともあれば、まわりのともだちからいやなことをいわれちゃったりすることもあるのかな、とおもうし、そんな美沙のがんばりをわからないともだちがいるのも、しかたないかなと、ママはおもうよ。
だってまわりのともだちは、美沙のほんとうのすごさを、わかっていないんだもの。
美沙がすごすぎてわかるわけないんだもの。
美沙はだれよりもそんなことばにまけないつよさもっているっておもいます。
そして美沙はすごく大きな花のタネをいまもっているんだよ。
だれにもそだてられない美沙だけのきれいな花のタネだよ。
どんな花がさくのかはだれもわからないし、美沙でさえもきっとわからない。
でもね、くやしいおもいだったり、いやだな、でもまけないっておもうきもちがその花をうんときれいにしてくれるとおもうんだ。
どんな花がさくのかな。
パパもママもすごくたのしみです。
だから美沙もうんとたのしみにじぶんのがんばりをしんじてその花のタネをそだててね。
でもあんまりがんばりすぎちゃうとつかれちゃうから、ゆっくりゆっくりそだてるんだよ。
つかれちゃったらつかれちゃったってちゃんというんだよ。
そしたら力をあげるからね。
パパとママとおねえちゃんをえらんでうまれてくれてありがとう。
これからもよろしく。
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突然出てきた、10才になった美沙に送った誕生日の時の手紙。
ほんとね。あの当時、まったくもって美沙がどう育っていくのか私には見えなかったから不安でした。
だけど、不安なりにもこんな手紙を書いていたんだな。
美沙に書きながら、私自身に一生懸命言い聞かせていた、そんな手紙です。
それから12年後の今。
美沙の咲かせる花の形ははっきり見えるどころか、まだまだグングン大きな蕾として成長させている途中、のような気がします。
・・・いや、きっとこの花は美沙が人生終える時に開くもの、なのかもしれないな。
そしてそんな花の種はみんなみんな持っていて、きっとやり切った人生を終えた時に初めて全てが見えるのかもしれない。
・・・って思ったらとっても楽しみな私の花の種よ。
そして、そんな美沙の自分の中の葛藤と真摯に向き合う姿は美しくさえあるのよ。
それすらも、彼女のこれから咲かせる花の彩りに加える気がして母はそんな日々の成長を時に祈りながら、時に背中を押しながら、時にブーブー文句言いながら、賑やかに眺めております。
だから・・・あの頃の美沙と同じ小さな子たちの学校という世界での健闘を心から祈るばかりです。
キミたちは、つよいよ。
キミたちは、たくましいよ。
ちゃんとじぶんのちからであるいていけるからだいじょうぶだよ。
キミもいま、だいじなキミだけのタネをそだてているんだよ。
そんなキミが、これからどんな花をさかせるのか、とってもたのしみにしているおとながここにもいるからね。
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あ、これ、二分の一成人式に書いた手紙だったと言うことを今ふと思い出したわ。
さて、そろそろ成人式から30年以上経とうとしている大人の私はそんな彼らに何ができるかな。
そして、これを読んでいる大人の皆さん。
あなたは何ができますか?
今日もここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。
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