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あの日の音が聞こえる。

美沙は小さいころから
よくおしゃべりは
していたほうだと思う。

でも、何を言っているのか
わからなくて、
とにかく喋ってた。

ある意味それは多弁ちゃん・・・
だったような記憶がある。

話してくれる話は
本当にたわいのないことなんだけど、
時に本当にわけのわからない話を
延々としてくるわけで。

私に余裕のある時ならば、
うんうん。
そうなんだ。それで?どうなるの?
ってご機嫌よろしく聞けていたけれど。

私がちょっと
お疲れモードになってしまうと、
うん。
・・・うん。
・・・・・・うん。
まぁホント愛想のない
ママとしてそんな話を
延々と聞いていた。

・・・ってことを
すっかり忘れていたけれど。

大学生になったある日、
自分がその時に
描こうとしている絵を私に、
あーだこーだと
語っている美沙の声に
ふと、あれ?
この音どこかで
聞いたことあるなぁ。

美沙の絵が生まれるはじめの一歩。
いつもこうやってボールペンで
描き始めるのです。
私は何気にこのボールペン画が
1番好きだったりする。

・・・それは、
あの日の小さな美沙が
楽しそうに自分の創造の世界を
語っていた
あの時の音だったことを
思い出したのだ。

そうかそうか。

あなたは何も変わらずに、
あの日も
この日も
この音を奏でていたんだね。

そしてそれは
全く変わることもなく、
美沙が見ている
頭の中の世界を
とても楽しそうに
語っていたのだ。

成長って、
できなかったことが
また一つ一つできていくこと、
だけど、
生まれてから
ずーっと成長することなく
変わらないものがある。

それが持って生まれた感覚、
なんだね。。。

それこそが、
神様から与えられたギフト、
なんだ。

私はそんな娘を
うっかり何とかしようと
していたけれど、
どうにもできない
そんな感覚の部分を
あれこれどうにかしようと
躍起になっていたんだな。

話すことが
まわりの子より
幼いと思っていたから。

もっとしっかりしたこと話してよ!
早く早くまわりの子みたいに話してよ!
そんなんじゃ
友だちついてこれないよ!

・・・そう思っていたね。

でも、私も私で
そうするしかなかった。
そうだと思っていたからね。

・・・でも、それでよかったんだ。

おかげでそんな
甘い音を覚えていられたのだから。

それを当たり前だと思っていたら。
当時美沙はこういう子だって
素直に受け止めていたら、
そんなことすら忘れていただろう。

当たり前じゃないと思う日常。
わが子は大丈夫かなと思う日常。

うん。それも神様からの
大事なギフト、
だったんだな。

私にとっては。



そりゃ、
こんな壮大な絵を
語っていたら
そんな話にもなるよねぇってほどに、
美沙の頭の中では
こんな世界が
繰り広げられているのです。

もしよかったら
絵を拡大してみてくださいませ。

いろんな世界が繰り広げられています。

いろんな構図を
興奮気味に
楽しそうに話す娘を見ているのが
笑っちゃうくらいに幸せだ。

それは絵本を手にした時も然り、
百均で手に入れた
おもしろそうなおもちゃを
語る時も然り。

子どもが興味のあることを
大人になった人が
こんなにも力説するって
本当におもしろいのよ。

きっとそれを聞きたい、
そして話したい子どもも
いるんだろうな。

大人が同じ目線で
同じ視点で
すんごい熱量で
それを本気で話せること。

これ、すっごい才能だなぁと思うわけ。

・・・って、美沙自身も
大勢の前で
それはできなさそうだけど。

そんな世界を
見てみたいなぁと
思ったりする。

そんな話をしたいちびっこ、
おいで!

今日もここまでお付き合いいただき
ありがとうございます。


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