見出し画像

「かなわね」の背景

2000年生まれの娘、美沙はとにかく漢字が書けない読めない。
そんな子どもだった。

それ以前にも色の認識が出来なかったり、数字の6が書けなかったり。

おそらく先生の一斉指示すら入っていなかったと思う。

そんな様子を見るたびに、私は呪文のように「2人姉妹で下の子だから」・・・そう唱えていた気がする。

きっともう少し成長すれば周りのみんなに追いつくはずだ。
そう信じていた気がする。
だけど、ちっとも追いつかなかった。

大学2年の頃もそれは変わらず、自分の専攻している絵の実技以外の、どうしても取らなければならない歴史やコンピューターのプログラミングなどは本当に苦労して勉強していた(4年生になると全て自分の好きな絵の実技のみなのでその苦痛からは解放されていました)。

美沙の小2の頃の漢字の宿題。

書いても書いても書けない。読んだそばから、これなんて読むの?と、そんな繰り返しの日々だった。

私自身、仕事と家庭の両立にまったく余裕がなくてそんなやり取りにイライラしていた気もする。

そのころの美沙は毎日夕方5時のチャイムが鳴るとテーブルに向かう。
でも、なかなか宿題を始めない。

そのうちシクシク、それからエンエン、そしてウワーーーンと大きな声で泣く。

それが一通り終わるとやっと練習を始める。

泣くのは漢字練習をやるための儀式か?当時はそう思っていた。

それをなだめすかし、ときには怒り、時にはほっといて。

だけど漢字練習しなくていいよ・・・とだけは言わなかった。

言ったらなんとなくやらなくていい・・・そうなってしまうのはバリバリ昭和の体育会系で成長してきた私の中で良しとできなかった。

でもそれが当時の私にとっては本当に辛かったのだ。

お姉ちゃんは言わなくても、私が見ていなくてもできていた。

どうしてこの子はできないんだろう・・・という思いから、結局どうして
私は美沙ができないことを分かってあげられないんだろう、と自分を責めていた。


そんなことをやらせる私は鬼だなぁ・・・そう思っていた。

でもそんなある日ふと、この子はもしかするとこの漢字練習方法だと難しいのかもしれないと思い立ち、やり方を変えたら週1回の漢字テストは合格できるようになった。

だけど、これが障害というものに当たるなんてまったく思いもしなかった。

日々の学校生活の中ではいろいろつまづくこともあり、2年生も終わるころに、「美沙ってどうしてバカなのかなぁ?〇〇君とノートを取り替えたら頭よくなるかな?」と言ったのをきっかけに、私の中で、この子はまわりの子とは違うんだ。きちんと向き合わなければいけない、という思いに変わった。

4年生になった時に療育に出会い、小学校は普通級であれこれ苦労したけれど、中学校からは「もうわからない勉強はしたくない」そう言って自分で支援級を選択。

そこから進学できる通信制の高校を選択し、自分が得意とする絵を活かして
AO入試を経て横浜美術大学に進学し、現在4年生として、いろいろと自分ってなんでこうなんだろう、どうしてこんなことやっちゃうんだろうというような葛藤をしながらも、普通の女子大生として日々生活していた。

ただ、学習面からは完全に開放されて、大学4年当時はただ朝から晩まで学校で自分の絵と向き合うだけの日々となっていた。

実は小1の頃から「下の子だから」という言葉でみんなができることが
できない美沙を見て見ぬふりをしていたけれど、学校ではたくさんつまづいていたし、時には先生にも「勉強分かっていないみたいだから、ほっといちゃってるのよね」と言われた子どもだったけれど、私は美沙が支援級に入級した時点で学習面の評価というものを早々に手放せたし、美沙は美沙で支援級はもちろん、交流級でもちゃんと自分の居場所があったし、部活もみんなと一緒にできていたおかげで、あまり困るハンデを感じることもなく、高校に入ってからはただ美沙の描く絵を凄いなぁと見ていたし、そうやって、生み出される絵を「あなたにしか描けない」とも伝えていた。

そのおかげ・・・かどうかはわからないけれど、彼女はのびのびと、だけど、美大の先生の言葉に葛藤しつつも自分の絵を追求しながら筆を動かす日々を過ごしている。

そして令和5年4月より絵画教室の先生として社会人デビューしました。

漢字は相変わらず書ける字は少ないし、書いても子どもが書くような文字だし、資料を写すとかなりの確率でおかしな字を生み出すこともある。

だけど、描いたときには全く起承転結という言葉を意識していなかったという美沙がこの絵本を高2の時の授業の課題で描き、それを手にした私自身がいろんな方にこの絵本を手に取ってほしいという願いから、一念発起して自費出版したものです。

「かなわね」・・・最後に全てを受け止めてくれるママが出てくるけれど、私は当時そんなママなんかじゃなかった。

それでも今、美沙は生き生きと絵を描いている。

うん。

あんなに鬼だったけれど、今にして思えば純粋にまっすぐで愛おしい日々だった。

あの時鬼になってくれてありがとう、とすら思っている。

あの時鬼になってくれたからこそ、今本当に幸せだと思える景色を見ている。

子育て真っ最中のわが子の発達に悩むお母さんへ。

子どもがどんな子であれ、本当にみんな頑張っているからね。

だから、どうかそんな今の成長途中の日々にできないことばかりが目に付いてもがっかりしないでね。

「こんなことができてもなぁ↓↓↓」がいつの日か子どもの成長とともに「こんなことができるんだ!!!」に変わる日も来ます。

子どもは自分のペースでちゃんと成長しています。

どうか「定型発達」という言葉に惑わされないで。

何歳になったらこれができる・・・ではなく、その子が何歳だろうと、それができたときがその子にとっての「定型」で発達しているのですから。

だからどうか安心していろんなことに親として葛藤してみてください。

こんなにも心揺さぶられる景色なんて、我が子がいなかったら見えなかったもの。

そう思える私は今やっぱり幸せなのだから。                             

そんな女の子がさらに大きくなってこんな絵を描き・・・

こんな社会人になりました。

どう考えてもこんなふうになれないとずーっと思っていたけど。

ちゃんと自分で一つ一つ葛藤しながらも自分の力で切り開いて行った道です。

奇跡が軌跡となる。全てはそうならない、が、なっている。

そんな道もちゃんとあった。

いろいろなご連絡をお待ちしております。

大橋美穂

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?