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当時30歳、1人で4人育てると決めた私のその後の10年間は『フルマラソン』いまは39キロ地点
『大変そう』
タイトル見ただけでそんな言葉が聞こえてきそうな予感がしてます。
はい、その通りです。
たしかにたしかに、大変な大変な10年間でした。
お世辞にも楽だった〜!なんて顔がひきつっても言えない。
離婚してすぐ長女はストレスからなのか、そうではないのかわからないけど、腎臓の病気になり入院し『お母さん、今夜がやまです』という、テレビの中の世界でしか聞いた事のないような言葉を聞くことになったり、
次女はそのあとから不登校になって学校に行けれなくなったり、
末っ子長男は水のあるところで遊んでて軽快にジャンプして頭が割れたり。
離婚してすぐに特に何も問題がなかったのは、三女だけだったかもしれません。今思えば。
でも、やっぱりその後起こるんですよね。
一人学校に行けれなくなると『なんで私は学校行かなきゃ行けないの?』ってやつ。
あ〜この日がやってくるような気配は感じていたけど、やっぱりやってきたかぁ。
私は長女の病院と、どうにか稼がなきゃ行けないから仕事に追われてるけど、次女も三女も学校行きたくない、末っ子長男は寂しかったからなのかチック症を発症。
なんか、やっぱり、素直に、この時の正直な気持ちを言うと、
『しんど。』
この言葉が1番当てはまります。
今思い出しただけでも『しんど。』って自分でも思っちゃうくらい。笑
本当にこの10年間は、まるでフルマラソンを走っているかのようでした。
子育ての終わりが高校卒業だとするならば、いまはマラソンでいうと38キロ地点くらいまで走った感覚かな?
でももし末っ子長男が大学まで行くとか言いだしたら、今が35キロ地点くらいな気持ちになってしまうんですけどね。
日々、フルマラソン。
本気で疲れたときもあったし、もう嫌って思うこともやっぱりあって、そんなときは本当に心がしんどくてしんどくて。
もうー母親辞めたいー!!なんて思っちゃったこともありました。
仕事が上手くいかなくて稼げれないときなんて、本当にしんどいんですよ。
そんなときはお金だけじゃなく自信も失ってるから、なっかなか自分を立て直すのに大変で大変で。
お金の存在って心に余裕を与えてくれたりもするけど、無い時は心の余裕を奪っていくんですよね。
そんなときは良い判断ができないのことがあったりなかったり…笑
まぁ、でもほんと、お金は無い、余裕はない、時間もない、、、えっ、なにがあるの?笑
みたいな、そんなことが多かった10年間だったように思います。
そんなコトを感じながらこの10年生きてきましたが、でも1人で育ててきて良かったと思うこともちゃんとあるんです。
それは、私自身が子供たちに嘘をつく生き方をせずに居られたこと。
旦那さんやお姑さんが居るわけじゃないから、誰かに遠慮するでもなく、納得のいかない我慢をするでもなく、したいと思うことを一生懸命し、時には恋愛もしたりしました。
それを子供たちに隠すことはなく、私の全てを見せてきたから、私は子供たちに対してずっと素直で居続けることができました。
ありがとうも、ごめんね、も。
子供たちはいっろんな葛藤があったと思います。
思春期という時期をむかえたとき、なかなか向き合うことが出来なくなったこともありました。
部屋から出てきてくれないんですよね。
ママに会ったら学校のこと言われるかもしれないって思うらしく、私が仕事に行ってから部屋から出てきたりすることなんてしょっちゅうで。
少し前に笑いながらその話をされました。
えぇ、えぇ、気づいてましたとも。
長女とは、入院してた小6〜中2くらいの間に一緒に病院に泊まったりして2人で過ごす時間がたくさんあったから、いろんな話をして向き合うことが出来てたけど、次女と三女はなっかなか向き合えず難しかったぁ〜。
でも中2のとき三女が『このままやったら(不登校のまんまで)変われんけん、高校は県外のこの高校に行きたい』そう言ってきたときから、「わかったよ。」と返事をし、向き合いたくさん話をすることが出来るようになりました。
でもまだ次女とは向き合えないまんま月日はすぎ、次女とやっと向き合って話ができたのは、次女が18歳の時でした。
長かった〜。このとき始めて不安になって私を求めてくれたんですけど、本当に嬉しかったんです、私。
なかなか次女はあんまり自分からいろんなことを言ってくるタイプでは無かったから、本音で向き合えないまんまずっと居て、それが私はすごく苦しかったけど、やっと向き合うことが出来たんです。
子供によって、そのタイミングってみんな違うんだなぁって改めて思います。
こっちがいくら向き合いたくても、相手の心がちゃんと向き合う気持ちになってなかったら、向き合いたいというこっちの気持ちの押しつけになってしまうし、かと言ってそっとしておいたとして、放ったらかしにしてるとは感じて欲しくないし。
子供が多いって難しい。笑
いま振り返りながら思うけど、よくここまでやってきたなぁって。
でも正直私が凄いんじゃなくて、誰でもしようと思ったら出来るんですよ、1人で育てるって。
わからないことには無理かもしれないって気持ちが生まれるけど、やってみれば意外と出来てしまう、みたいな。
でも正直オススメはしないかもしれません。笑
愛する旦那様が居て、その方が私や子供たちのことを大切にしてくれるのなら、私も2人で子育てしたかったです。
でももし、そうじゃなくて苦しいと感じてる人生を送ってるのなら、背中を押してあげたい。
大丈夫、なんとかなりますよ。って。
私は子供たちの前で笑っていたかったから、1人の道を選びました。
選んだ結果、もちろん泣くことだってあったけど、でもたくさん子供たちと笑って過ごしてきました。
自分で自分を幸せにしてあげる。
自分自身が幸せで居ることが、子供たちを幸せにしてあげることのひとつだとも知りました。
『自分の犠牲の上に成り立つ子供たちの幸せ』を選ぶ道は、私の中にはありませんでした。
自分の人生も自分で選ぶことを大切にしてきたからこそ、子供たちの人生も自分たちで選び、大切に進んでいって欲しい。
私が子育てをしながら学んだ1番大きなことは、自分自身と子供たちはお互いに『個』であり、お互いの幸せもそれぞれに違うということ。
私の幸せの価値観と子供たちそれぞれの幸せの価値観もきっと違うところはたくさんあるから、お互いにそれを認めあって大事にしあいたい。
私が毎日フルマラソンをしながら子供たちに学ばせてもらったことは、自分自身のことも大切にし、子供たちそれぞれのことも大切にすることでした。
17歳のまだまだ子供だった私の元にきてくれた長女。
あの日から早23年。
いまはもう40歳という年齢になった私の、不甲斐ないこともたくさんあった子育てだったけど、私は自分の子供たちの優しさや考え方を尊敬してるし、自慢の子供たち。
フルマラソンはまだもう少し続くけど、でもいまとなっては走らずに歩いてゴールに向かうのもいいんじゃないかと思えるくらいになりました。
大きくなった子供たち。
今ふと思ったんですけど、前までは一人で一生懸命四人を担いで走ってきてたけど、でもいまは二人三脚?五人六脚?でゴールにむかえるようになれているんですね。
こんだけ子供が居たら誰かは応援してくれるし、並走もしてくれるし、私のフルマラソンは全然孤独ではなかった。
ずっと一緒に居続けてくれたんですね、子供たち。
残り3.195キロかな。
歩きながら、走りながら、ときに寄り道もしながら、でも前に進んでたら必ず辿り着くゴールにこのまま向かっていきます。
あとちょっと。
頑張れ自分っ。
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