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畜力のヒントを探しに。

2月28日
昨日の農耕馬の将来を考える@岩手大学に引き続き、
馬搬についてヒントを得られれば、、と、
過去に馬搬をやられていた一関市在住の
小岩様のお宅へお伺いさせていただきました。

小岩様は平泉の藤原まつりのポスターで白馬の手綱を握られている方で、この白馬のオーナ゙ーです。

家では代々、大砲を運ぶ軍馬の育成など
馬とともに暮らしてきた歴史があり、
小岩様は小学生の頃から手綱を引き、田んぼの代かきなどで馬耕をされていたそうです。

中学生では、近所の草原で馬主さん達が馬を連れ寄って競馬遊びをしていた中(!)、騎手をされていたことも。

それほどに、幼少期からずっと馬と生活を共にされてこられた方です。

また、昭和40年代のまだ歩道の除雪機が無かった時代。
通学の子どもたちが積雪の中を通学できるように、と馬に雪かき具をつけて、片道6キロの道のりを歩いた。

片道を雪かきし終えた馬は体中汗だくで、
真冬でもボタボタと雪上へ汗がこぼれるほどだったとのこと。。  


ネット記事より抜粋

また、昭和40年頃の材木店の仕事では
急峻な山から丸太を馬搬でそりに乗せ、二度運べば4トン車いっぱい(!)になるほどの量を搬出していた。
当時奥様も手元として、一緒に山に入って作業を手伝っておられたそうです。

小岩様に、なぜ馬搬はなくなってしまったのでしょうか、と訊ねると、

馬の仕事がなくなったからだね、と。

 効率化、機械化が進んだために、馬の仕事は少なくなっていったのですね。


だけど、山を傷めないのは馬だよ、

怠け者では馬は飼えないよ 

と、小岩様。 


馬搬の技術はすぐに習得できるものではない。馬を飼うのは手がかかり、大変なこと。


率直な意見として、馬を飼うことのハードルは高いと感じました。金銭面、飼育面において。

とはいえまだこの先も、畜力の糸口を見出していきたいと思っています。

今回の訪問を快く迎えてくださった小岩様

貴重なお話をありがとうございました。


追記・・・
現在、小岩様は
平泉町内で馬車を走らせる計画を、
行政と進めておられるそうです。

早期実現と観光活性化を願っております。


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