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仮面ライダーオーズ復活のコアメダルに捧ぐ

火野映司という人間について

以下、『仮面ライダーオーズ復活のコアメダル』の結末に触れたネタバレです。
否定派の感想でも肯定派の感想でもないです。
強い言葉やチクチク言葉は使っていないです。ただ、書き手の「哀しい」という気持ちが綴られているので、引きずられてしまいそうな方はご注意ください。





仮面ライダーオーズ復活のコアメダルを鑑賞しました。

映画の内容や結末について、様々な思いを持つ人はいると思いますが、これだけは全員の心に共通してあると思います。

火野映司という一人の青年が死んだことが、ただただ悲しくてなりません。

火野映司という人間は、突然私たちや比奈ちゃんやアンクの前に現れて、突然永遠に私たちの前から消えてしまいました。
この映画で、アンクが蘇り、また映司くんや比奈ちゃんと三人で手を繋いでくれるものだとばかり思っていました。

私たちは火野映司のことを何も分かっていなかったのかもしれません。そのことがなによりも悔しく、悲しいです。


仮面ライダーという作品は、ひとりの人間の成長を描くコンテンツだと思っていました。

「なぜ仮面ライダーになったのか」

「なぜ仮面ライダーであり続けるのか」

この問いに一年かけて答えを見いだしていくものだと思っていました。

火野映司は十年前の本編最終回で「助けを求めるすべての人に届く手」を得るのではなく、アンクの「命」をかけた「お前の掴む腕は俺じゃない」という言葉によって、戦いを見守ってくれていた人々の元へ戻り、その手を掴むことを選んだのだと思っていました。

手の届く範囲の人を助け、時に助けられながら生きていく。それは「すべての人に届く手」と等しく尊いものだと分かってくれたのだと思っていました。

しかし、その十年後に火野映司はひとりで戦い、ひとりで死にます。何故あの場で彼がひとりだったのか。伊達さんと後藤さん、信吾さんは別の場所で戦っていたのか。

火野映司がひとりで戦う必要は無かったのに。

これ以上戦えないと思ったときに、逃げたって良かったのに。

火野映司は結局のところ、自己犠牲の精神から抜け出せなかったのでしょうか。

TTFC放送の特別編(前日譚)では、映画の時間軸以前の映司が「アンクのコアメダルを元に戻す方法が分かった」と言っていました。

十年間その方法を探し続けていた映司が、その方法をいつ知ったのか。そして、それを本当に実行しようとしていたのか。これも誰にも分からないことです。

いつか、自分の命と引き替えにアンクをよみがえらせるつもりだったのか。少女を守って瀕死の状態になった時に、そうしようと決めたのか。


映画を見た後は放心状態でしたが、よく考えてみれば、私たちは結局、火野映司がいつ、どこで死んだのかすら知りません。

気持ちのうえでは、十年前、彼の戦いを一年間通して見守ってきました。映司の怖いくらいの自己犠牲精神と他者への献身が、何故生まれたのかを見ました。そして、アンクと出会い、一年間仮面ライダーとして戦った過程で、その呪いが多少なりと解けた、もしくは「アンクと再会するいつかの明日」という願いへ多少なり席を明け渡して、火野映司は身軽な旅人に戻ったのだと信じていました。そういう彼の一年の戦いを見てきたのだと思っていました。

それさえ思い違いだったのかもしれません。

火野映司の欲望は、私たちの期待の埒外にあり続けたのかもしれません。そうでなければ、私たちにとってあんなぞっとする結末を、死を、火野映司は迎えなかったはずです。


本当の死の間際、映司は身を挺して庇った少女が生きていることを知り「やっと手が届いた(助けられた)」と言いますが、それを聞いて私は愕然としました。

この人はまだ、十年以上前に助けられなかったひとりの少女のことを悔いている。

五十話、一年かけても。また、十年経っても、火野映司はその呪縛から救われていなかった。掴んだはずの手を、火野映司に振り払われた気さえしました。


見ず知らずの少女を致命傷を負うと分かりながらも助け、自分の命と引き替えにアンクを蘇らせ、誰にも心配をかけずにひとりで戦う(ゴーダに体を乗っ取られた後もわずかながら映司の意識はあったようなので)ことを選んだ。そのことが火野映司にとって「得」で「満足」のいく選択だった。

だからこそ、私は火野映司がこの世から失われたことが悲しい。

火野映司はとても強くて優しくてずるい人間でした。最後まで自分の欲望に忠実であり続けました。その欲望から解放されたいま、本当の旅人になることができた。


ただ、彼のいない世界で、私たちは、残されたアンクはどう生きていけばいいのでしょう。

彼に「ありがとう」と言おうとしても「な
んで死んだんだ」と責めようとしても、もう彼はどこにも、本当にどこにもいない。

火野映司が死んだことが、本当に辛く悔しく悲しい。

たとえ、彼が満足して選び取った結果だとしても、そうじゃない満足を、彼が空白の十年の間に選択することはできなかったのか。

火野映司がひとつの旅にこんなエンドマークを打つとも思わずに、アンクと映司の再会を、口を開けてただ待っていた私は、火野映司が、仮面ライダーオーズが神様ではない、と本当に分かっていたのか。

火野映司という人間と、ともに旅をしていた人間の一人として、何度でも考えてしまう。火野映司はなぜ死ななければならなかったのか。

今はただ、火野映司が死んだことが、辛く、悔しく、悲しい。

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