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カタ ウパニシャッド(2024年6月)

相模 逗子市

 今朝は、古代インドの宗教哲学書である『奥義書ウパニシャッド』について学びました。

 多くの信仰者は、形ある神を信ずるバクティヨーガを実践しているため『ウパニシャッド』を難しく感じますが、ウパニシャッドは知識ギャーナヨーガのヒントになります。例えば、周囲の万物を全てシュリーラーマクリシュナと同一視するのです。

 神の化身、その形・名前は一時的なものであり、神の本性こそが永遠です。ラーマクリシュナは、カーリー母神の姿を観ましたが、そのイメージもまた完全なものではないと、知識の刀で断じられました。

 言葉は相対的ですが、梵天ブラフマンは絶対的なので、言葉だけでは説明不能で、実践による経験が必要です。ブラフマンを悟った者が、ブラフマンになります。川の水が海に達するが如く、海を念じ続けて海となるのです。求道者である私達は、知識の学びの果てに、説明する者と、される者との合一(説明を必要としない境地)を目指します。

 唯一なるブラフマンこそが実在であり、他はマーヤー(無知による幻影)に過ぎません。その道を学ばせて頂けるのは、それを許して下さった神の慈悲であり、これを習得できた暁には、このクラスも役割を果たし終焉するのです。

 これまで約3年間の学びは、ウパニシャッドの準備です。学校・大学での探究が大切であるように、これまでの探求を復習する時間を作りましょう。時間が無いと嘆いていても、前には進めません。


 ウパニシャッドの梵語サンスクリット原典は重厚で、そのままでは読者の意欲を減じてしまうので、短く翻訳されています。協会の日本語訳ウパニシャッドには、次のような問題点があります。

  • 原典よりも少ない。

  • 梵語→英語→日本語の重訳である。

  • 原典のどの節に該当するか書かれていない。

 物理・化学・地理などの科学は自力でも学べますが、聖典の教学は、先生グルから直接の教えを、その雰囲気の中で学ぶ事が大切です。

 日本語などと同様に、ウパニシャッドが記された当時の梵語は、今の言語とは異なり、死語になっている言葉もあるので、そのまま現代人が読解するのは困難です。また、言葉通りの意味だけでなく、そこに込められた深い意味を理解する必要があります。これは『神歌ギーター』(マハーバーラタ)も同様です。更に、哲学者による解釈も様々(非二元論・二元論・限定非二元論)です。それら全てを注釈して読破するのは困難ですが、翻訳だけでなく一定の注釈も大事なので、それを勉強会で説明します。

 ウパニシャッドは108章あるそうですが、その中で有名な現存は(シャンカラが注釈した)12章ほどです。そして、特に重要な「カタ ウパニシャッド」(ヤジュル ベーダ)は注釈も豊富です。「カタ」は、聖者の御名に由来するとも言われます。ビベーカーナンダ師も、度々カタの話を引用されています。

 カタが重要視されるのには、次のような理由があります。

  • カタの梵語は分かり易い。

  • ウパニシャッド全体の要点が、カタに凝縮されている。

  • 物語があり面白い。

  • 死神が登場し、人生の死後について書かれている。

  • 多くの例を用いて、悟りに向けて何を実践すべきか説明されている。

 ありがとう御座いました。

合掌


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