四月九日 春を担ぐ

肌寒い宵闇を駆け抜ける
フードを被った若い声

電車の窓の向こう
黒々とした寝起きの田んぼに
春が訪れ水緩む

鈴懸の木の
てっぺんの方に
久しく見ない緑が芽吹く
建物の影を免れたその一房に

花びらが、種子が綿毛が
ポケットに潜んで旅をする
気付かぬよう気づかれぬように息を潜めて

肌寒さを無視するように
夜影に紛れた若い声

一つ一つの足音が
春を担ぐ
春を担う
一つ一つの呼吸が
春を担ぐ
春を担う
この頃ついぞ見ない
その赤らんだ笑い声に
春を担ぐ
春を担う

若鹿の角に
桜の枝、一房絡む
春を担ぐ、春を担う

若い緑の匂いを嗅いで
空を仰ぐ
春を担ぐ、春を担う

沈丁花の香りに
越し方の悲しみを思い出すなど
春を担ぐ、春を担う

空は清々しいほどの青
風は光を匂ってなお流れる
春を担ぐ、春を担う

オレンジ色の光を帯びた
灰色の夜明けに目をくらませる
春を担ぐ、春を担う

私は春の眠りの底に落っこちる
今世を忘れるまで
どこまでも沈んでいけるような幸せな終わりの感覚

暁がやがてあけて
灰色の夜明けが熟れる頃に
私もまた、

春を担ぐ、春を担う。

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