くだらないことも何かの種につながっていると信じてる
サンプルありますか?もっと欲しいです。
きょうもわたしはせっせとサンプルを集めている。
どんな生き方をしたいか、
どんな人間になりたいか、
どんな働き方をしたいか、
どんな優しさを差し出したいか。
自分の中にたくさん「サンプル」が入っていればいるほど、自分らしい道筋やあり方を決めていくときに、これだ!と感じられるんだと思う。
進路とか、いわゆる大きな人生の選択肢だけじゃなくて、
自分の表現(行動や振る舞いのすべて)を決めていくときに「サンプルを集める」ことは、自分の中の納得感のためにとてもたいせつ。
_サンプルは、表現の種
「表現」というと、演技だったり歌だったりちょっとアーティスティックな世界を思い描きがちだけれど、表現の領域はもっともっと広いものだと捉えています。
道を歩くこと
挨拶の仕方
ごはんの食べ方
そんな日常の小さな動きも「表現」だし
生きることも
仕事をすることも
学ぶことも
だと思う。
きょうはどんな表現(自分)で生きていく?
毎日意図し続けるのは疲れる。でもそういうこと。
毎日まいにち、その積み重ねがその人の人生をつくっていくんだよな~。
じゃあわたしは何を意図して表現していきたいのか?
と思ったら、もっともっとじっくりじっくり味わうように、漂うようにそこに存在していたい。って思った。
散々「表現」と言っておいて恐縮ですが、毎日をじっくり味わっていたら、いつのまにか「私らしい表現」にたどり着いていた。
みたいな、あくせくゴールを目指すんじゃなくて、楽しんでいただけなんですけど♪ みたいな、そんなプロセスを楽しめる進み方がいい。
_毎日をじっくり味わうって、それって具体的に何?
って思うと、わたしにとっては観察なんですよね。
別にそれが何に結びつくとか、結びつかないとか関係がなくて。
でも、実は脳内にしっかり溜まっていっていて
何かとの偶然の出会いによってぐわーーんってつながっていく。
そんなイメージ。
そうそう!そういうこと!と思った2冊の本がある。どちらも読書に関する本です。
脳に沈殿したものが攪拌されて、また広がる。
というようなことを藤原さん(「本を読む人だけが手にするもの」)が書いていて、その藤原さんの言葉を荒木さん(「自分の頭で考える読書」)が紹介していた。
荒木さんはその考えのことを「スノードーム理論」と名付けていて、なんてかわいい名前を付けるんだと思った。
おふたりは読書とその理論をつなげていたけど、それは「日常」にも当てはまると思っている。(もちろん読書にも)
生きていると、やることも、やりたいことも山のようにあって、頭がぐわんぐわんのぐちゃんぐちゃんになることもあるけれど、
それは「自分らしい表現のためのサンプルを集めているプロセス」とも言えないでしょうか。
*
この考え方をinputとoutputに置き換えてみる。
・読書はinputであるなら、日常のアレコレもinput
・inputの濃さがoutputを決める のであれば
ただ流れていく毎日を流れるように過ごすよりも、じっくりひとつひとつシワを伸ばすみたいにinputをしていく。
見つめる。味わう。
「これもなにかの種になる♪」という心持ちで気楽にinputしていくことが、肝だと思う。そうやっていたら、いつの日かすてきな自分だけのスノードームが出来上がると信じて。
【まとめ】
毎日に充実感を得ながら、自分らしく生きていくには
当たり前の毎日をじーーくり味わうのがやっぱり大切で。
その「味わう」の濃度が濃ければ濃いほど、毎日の充実度は上がっていく。一朝一夕に得られるものじゃなくて、何事も積み重ね。
せっかちな私は時として手間に感じるけれど、でも間違いなく毎日がおもしろくなっている。
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