空腹があるから満腹をしあわせに感じるんだなと思った
_世の中にある便利なものを「便利」だと感じられるのは、ナイ時代を知っているから。
例えばインターネットも、「ない時代」を知っている人は 「便利だー!!」と感動することができるけれど、インターネットが当たり前に、生まれた時からそばにある人は、便利かどうか、ありがたいかどうかも考えもしないかもしれない。
わたしはスマホとかインターネットとかを、とても便利だと感じられる。
それはない時代を知っているから。
でも、洗濯機、冷蔵庫、テレビは意図しないと、便利だなぁありがたいなぁとは思えない。他にも水道や、電気、ガスその他のライフライン。
当たり前にある。と思った瞬間に感謝ができない。
そういう生き物なんだと思う、人間ってやつは。
今のおじいちゃんおばあちゃんも比較的「ある」時代を生きていきた人たち。もちろん中にはとても苦労した人もいると思うけれど、もっと昔の人たちに比べたら比じゃないかもしれない。
もちろん、現代を生きる私たちは比べることもおこがましいくらい「ある」時代を生きさせてもらっている。
_「ない」と認識するのを卒業する
10代〜20代の頃は、自分には何もなくて、見つけなくては!見つけなくては!と焦っていた。タチの悪いことに、焦ってないふりして、大丈夫なふりして焦っていた。
それの何がタチが悪いかって、心の中で思っていることと、行動が一致していないから何も解決しないこと。何も解決しないまま時ばかりが過ぎ、それは宿題として30代後半になっても残り続けていた。
でも、すでに「ある」
と体感で染み入るように感じられるようになった。39さいのなう。
頭ではずっとわかっていた。
健康だしね、歩けるしね、目も見えるし、家も布団もある。
明日の暮らしにも困ってない。子供にも恵まれて、家族もみんな健康で。
そんなことはわかっていた。
でも全然「思えて」いなかった。
頭でわかることと、体感でわかるは雲泥の差。
まさにその感じ。
自分の心を言葉にしていくことや、自分にとってしあわせ・心地よさをトコトン考えた。考えるだけじゃなくて、書いて書いて書きまくった。
何も感じていないと思っていたわたしの心は、無限の色彩を持っていて、細やかに機敏に繊細にいつも感じていた。
そんなことをしていたら、いつの間にか当たり前にある目の前のしあわせに気づき、自分でじんわりと心を温めることができるようになった。
20年溜めてきた宿題をやっと終えることができそう。
もっとこうしてほしい
もっとこうありたい
もっと、もっと・・・・にはやっぱり終わりがないと思う。
「ない」ものに目を向けている時って、自分の中がなんか、ネズミ色のような、名前もつかないようなどよ〜〜んとした色になっている気がする。
反対に「ある」ものに目を向けているときは、黄色オレンジピンクがグラデーションになったようなふわ〜とあったかい色になっている。
何が正解なんてわからないし、正しさなんて人それぞれ。
だったらわたしいつ瞬間も、黄色オレンジピンクのあったかい色でいたいと思う。「ない」ことで気づけることにありがとうと感じて、「ある」ことにもありがとうと言えるひと。そういう人でありたい。
「ない」と感じることはなんですか?
反対に「ある」と感じることはなんですか?
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