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感情をすくって言葉で捉える

感情に色をつけるとしたら何色くらいあるだろう?

怒りは赤
悲しみは青
喜びは黄色


あとは何があるかな。


感情は目に見えない。感情に名前をつけたがるのは、とらえどころのないものが気持ち悪くて、心地悪くて、怖がっているからだと思う。

このイライラするものは「怒り」だよね。
この泣きたくなる気持ちは「悲しみ」だよね。

ってそんな風に言葉で境界線や箱を作り、その中に収めたがる。その中に収まらないものはないことにする。

特にネガティブ、マイナス、ダークな気持ちには全部ふたをしてきた。


そんなの気にしなくていいからさ!とにかく笑っていようよ!そんなことで落ち込んだり、怒ったり、悲しんだりするなんて、人として成熟してないぜ・・・


こんな風に。


昨日、夜から本を読みだして一気読みした。
「カラフル/森絵都」
その中の一節にわたしの感じていることとリンクしている内容があった。

ぼくの中にあった小林家のイメージが少しずつ色合いを変えていく。
それは、黒だと思っていたものが白だった、なんて単純なことではなく、たった一色だと思っていたものがよく見るとじつにいろんな色を秘めていた、という感じに近いかもしれない。
黒もあれば白もある。
赤も青も黄色もある。
明るい色も暗い色も。
きれいな色もみにくい色も。
角度次第ではどんな色だって見えてくる。

カラフル/森絵都
(魂の話。人と関わる時家族であっても全部を理解なんて出来ない。誤解したまま傷ついてないで、分かり合おうとすることが大切だなと思わせてくれた本)


心の中は、無限の色彩がある。
誰一人として同じ感情はない。同じだと思っても微妙に違う。


自分の気持ちを、ていねいにみていけばいくほど
自分以外の人の気持ちを深く感じることができるようになる。


自己理解の深さと、他者理解の深さは同じ。


そう知ってからは
自分の気持ちや想い、ネガティブなものもポジティブなもの。その全てを掴んで言葉にしていくことを大切にしている。


私は自分を「人間に興味がない人間」だと思っていたけれど、実はそんなことはなくてただ拗ねていただけだった。


だれもわかってくれない。
だったら、初めから近づかない。近づけさせない。


笑顔の裏で強靭なバリアを張っていた。


今もバリアはある。
でも、コンクリートの分厚いバリアから、ベニア板くらいにはなったんじゃないかと思う。

バリアは自分を守るためにも必要なもの。だから否定はしないし、むしろちゃんと装備したほうがいい。でも下敷きくらいの厚さにしたり、TPOによって自在に調整できるのがいい。


バリアを自在に操るためにも、感情を細やかに見つめて言葉にしてすくい取る作業は欠かせない。じゃないと、本当に避けるべきときに避けずに、避けなくて良い時に、避けてしまうから。

そういうミスマッチが起きるたびに、人との距離が難しくなる。



それにしても、感情を見ていくのはなんせ、たのしい。今まで無視して生きてきた分、わたしにもこんな感情があったんだ!と感じたり、ただイライラしていたと思ったら悲しみや希望が見えたり。


人間生きていれば大変なこと、心がざわつくこどなんて山ほどある。


もちろんわたしもある。当たり前にある。毎日ある。そういう時は好きなだけざわついてもやもやしてイライラして。その後でじっくり自分の気持ちを見つめる、書き出す。


それだけでスーっと楽になっていくから不思議だなと思う。人間ってやつは。



そもそも、そもそも過ぎだけれど、そんなことができること自体、しあわせなんだってことを忘れないようにしたい。なんたって明日の寝る場所も、ご飯にも困ってない。だから悩める時間も心の余裕もあるんだから。

人間は暇だから悩むのかもしれない。

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