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法を解釈するのは人間だから

 ネット記事によって知ったことであるので、詳細については分からないこともあることを前提に書かせていただく。

 今回、私の目に留まったのは、奈良県御所市にて建設業を営む高田浩一さんの件である。近隣に住む老齢の知人に助けを求められたことが発端となる。稲刈り途中に、知人のコンバインのキャタピラが切れて動かなくなったらしい。そこで彼は自宅からショベルカーで現場へ向かい、コンバインを引き上げて戻った。ショベルカーで走行したのは約1,500mほどで速度は時速2km位だったようだ。

 ショベルカーを公道で走行するためには、大型特殊自動車という運転免許が必要になるが、高田さんはこの免許を所持していなかったという。これにより奈良県公安委員会は高田さんに対し2年間の運転免許取り消し処分を科した。その後高田さんは撤回を求めて提訴し最高裁まで争ったが、結局高田さんの主張は認められなかったという。
 
 親切心や知人の窮状に素早く行動した高田さんに間違いはなかったように思う。しかし法はそれを許さなかった。ここで思い出すのは、無免許の男性が運転する自動車が通園途中の園児の列に突っ込み、人身事故となった事件があった。注目された裁判は、後に世間を驚かせることになった。被告は無免許であったことから、当然相応の判決が出されるものと思っていた。しかし無免許であったとしても、運転できる技量(能力)があったと法的に解釈され、死亡事故を起こしながらも世間的には軽いと思われる判決が言い渡された。無免許は違法だが、運転できる技量(能力)があれば無免許とは解されないという世間の常識からは外れたような解釈に戸惑いを覚えた方も多かったと思われる。

 ならば本件において何故そのような解釈がなされなかったのかと疑問に思うところである。以前の法的解釈に世間からバッシングがあったことから、今回は如何なる理由があろうとも無免許は違法という解釈になったかどうかはわからない。法と云えども解釈するのは裁判官。人間の解釈ひとつが社会に大きく影響を与えることもある。今回の判決が間違っているとは言わないが、杓子定規な判決であったという感は否めないと私は思う。
 
 

 

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