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「孤独」が一流の男をつくる 読書記録27

「和して同ぜず」、自分の意思を大切にする

日本人なら誰でも知っている言葉に聖徳太子の「和をもって尊しとなす」がある。知っているだけでなく、みんなが納得している言葉でもある。「和の精神」は日本人のDNAに深く刻み込まれているからだ。
そのことに異を唱えるつもりはないが、なかには誤解している人も少なからずいるのではないか。そんな気がしてならない。どう誤解しているか。「和する」つもりで「同じている」ことが多すぎるようだ。
和は「仲良くする、協調する」と辞書にはある。同は「同意する、歩調を合わせる」という意味。よく似ているが、実際はずいぶん距離のある言葉だ。その違いは『論語』の次の文言からも明らかだろう。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
きっちりと使い分けている。君子は人とよく調和するが、主体性を失うことはない。小人は和したつもりで付和雷同(主体性なく同調する)が多い。このことと「ひとり」と、どんな関係があるか。
これからの「ひとり社会」を生き抜いていくためには、主体性が求められるということである。たとえば「あなたはどうしたい?」と聞かれたとき、いままでは「みんなと一緒で」でもよかった。これからは、その態度ではもう通用しないのだ。
セルフ・エンプロイドという言葉をご存じだろうか。「自分で雇われる」、つまり個人事業主ということだ。サラリーマンも、これからは次第にセルフ・エンプロイドになっていくだろう。「サラリーマンも職人の親方を目指せ」ということだ。
セルフ・エンプロイド型のサラリーマンの行動パターンとは、どういうものか。
たとえば、得意先から「こういうことをしたい」と提案されたとする。そのとき「もち帰って検討したうえ、ご返事いたします」ではダメなのだ。その場で一緒に、ある程度話をつめて「残りの問題点を検討のうえ、ご返事申し上げます」でなければならない。
「いちいちベンチのサインを見ないでも試合ができるプレーヤーが必要なのだ。会社は組織内にこうしたセルフ・エンプロイドを必要としているのである」
これが「和して同ぜず」の態度だ。つまり、安易に同調することなく、お互いが主体性を持って考え行動する。以前なら、「得意先の提案だから」とその場は同調しても社へもち帰り上司に委ねる、という主体性のない態度でも通用したが、これからは一人ひとりが自分の職務権限の範囲内で意思決定しなければならないのである。
いままで日本人のなかには「和する」と言いつつ、「同じる」ですませてきた人が大勢いた。そうするそこで自己責任を免れてきた。だが、これからはそれではダメだ。何となれば、欧米のビジネス社会はずっと主体性でやってきたからだ。
和することは大切だが、同じてしまってはダメ。同じないためには、みんなが「そうなんだ」と思っていることを疑ってみよう。そういう主体性がないと、グローバル化時代を生き抜けない。
人生も同じである。あたりの様子をうかがって、多数派に同調しようとするような人間の評価は低いということを肝に銘じておこう。
他人に迎合せず、自分の意思で物事を決めていきたい。

間違ってもいいから自分の意思で判断すること。責任を負い切るということ。多数派とは違う道を行くということ。

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