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なんでD&Iが最近の教育でここまで重視されているのだろう?

こんにちは。

大学院でのテーマは「学習における障壁」についてですが、ほぼインクルーシブの話です。

最近読んでいる論文ではD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の重要性が繰り返し言われています。
教育の正式課程に「障害がある生徒への対応」が含まれています。

以前、国際バカロレアの学校の校長が、人種や性別、文化や人の「優秀さ」で学校をセグメントする「エクスクルーシブ教育」の害について語っていました。「東南アジア式『まいっか』で楽に生きる本」の3章にも書きました。

エクスクルーシブが加熱化する日本からすると、まるで真逆の方向性ではないでしょうか(もしかしたら、人種で固まりつつあると言われる米国も同じかも)。米国の大学院にボーッといる私ですが、米国以外の教師の議論を眺めていても、どうやら、この議論には既に決着がついているようです。「異論は認めない」みたいな感じなのです。

例えば、課題が「現在の多様性のある教育と、伝統的な排他的教育(エクスクルーシブ)な教育の対比をし、多数の変化をアナライズし、教師の役割を論ぜよ」でした。

そもそもこれに割とびっくりというか。
「多様性のある教育と、排他的教育(エクスクルーシブ)な教育のそれぞれの優位性を評価せよ」みたいには、なってないのですね。

排他的教育(エクスクルーシブ教育)とは、社会経済的地位や性別、人種などに基づいて、特定のグループのみがアクセスできる教育機関を指しますが、これがいくつかの否定的な結果をもたらすことがあると言われます。

ある人種だけ、エリートだけを早期から集めた教育ーーつまり分離教育(セグリゲーション)はなんでダメなのか?

お手本的な解答を聞いてみると……

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