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歴史に名を残した、「子どもが8人いた元祖ワーキングマザー」に学んでみる

本日長文です。
子どもが8人もいて、作曲家の夫は神経が弱く定職につけない。
そんな中、夫の才能を信じつつ、ピアニストをして家計を支えた女性がいました。

19世紀のワーキングマザーは、いったいどんな生活だったのか。

クララ・シューマンは、作曲家シューマンの妻。
19世紀で最も高名なピアニストで、作曲家です。

彼女の映画、3回も作られてるんです。
Spotifyには、彼女の作曲に50万人の月間リスナーがいます。

なんでこんなに人気なのか、ずっと謎でした。
ところが最近「クララ・シューマン 真実なる女性」を読んで、ああそうだったのか、となりました。

貧しさと精神病的兆候で結婚を反対される

そもそもは、若いロベルト・シューマンが学習のためにピアノ教師のヴィークの家に住み込むのです。

子ども好きの彼は、たちまちヴィーク家の人気者になります。
ヴィークの娘が8歳のクララです。

シューマンはお化けの話をしたりして、子どもたちと遊んであげるんですね。クララは優しい「シューマンさん」が大好きになります。

人気があり、別の女性と婚約していたシューマンですが、じきクララへの愛情が芽生え、彼女が18歳になったときにプロポーズ。

でもヴィークは、シューマンの神経の細さや、彼の作曲では生活が難しいことから、大反対。手紙や面会も禁止してしまいます。

大規模な形式の作品を書く、技術的な素養にも当時は欠けていたので、ピアノ曲と歌曲しか完成していなかったし、当時のあらゆる作曲家が、生活費を得る手段としていたピアノ教授による道は、指の障害のためにシューマンには閉されていたのである。その上にもっと困ったことに、ヴィークは彼に精神病的な徴候さえあることを認めていたのである。
「クララ・シューマン 真実なる女性」

二人は裁判まで起こし、結局クララが20歳のとき、結婚します。

お金がなくて、身重の体で演奏旅行に出ることも

でもヴィークの予言通り、いつもお金に悩まされます。
ロベルト・シューマンの音楽は地味で、売れなかったのです。

クララが8人の子どもを妊娠したりしながら、ときにはお腹が大きいまま、家政婦に家事と育児を任せて、演奏旅行に出て家計を支えます。シューマンは家庭的な人で子煩悩で、子どもたちと話をしたり散歩をしたりしていますが、それでも八人の子育ては大変で、クララの作曲ができなくなることを心配していました。

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画像はボストン交響楽団のYouTube「Behind the Music: Schumann's Symphony No. 1, "Spring"」(シューマン交響曲「春」の裏側)より。

一方ロベルトはクララの創作への努力が、質においては進歩しつつも、子供の出産やその他家政上の雑用に追われて、次第に顧みられなくなるのを嘆いている。「クララ・シューマン 真実なる女性」

また、当時は女性が作曲することへの反対意見も根強く、メンデルスゾーンの妹のファニー・メンデルスゾーンも、弟の名前で出版したりする時代でした。

一方のクララは、多忙の中で、ロベルトの作曲も助けています。

クララはこれらの仕事が過労になることを恐れて、一緒に対位法の勉強をしようと提案した。同じ主題をきめて、各々の部屋に引きこもり、作曲した後に二人して検討するのである。この思い付きは、非常にロベルトの気に入って、やがて対位法の作品が次から次へと書けるようになってきた。
「クララ・シューマン 真実なる女性」

さらには管弦楽曲に自信がないシューマンが、クララに「こんなんで大丈夫かな」と相談しながら一生懸命書いたのが「交響曲1番 春」なんですね。当時の幸福に溢れたような素敵な曲です。

地元で市民革命が起きたとき「男は全員戦え」とシューマンを探す地元の人々に対し、クララは「夫は不在です」と言い続けて、神経が弱いシューマンを連れてドレスデンを脱出したりもしています(一方、政治好きなワーグナーは革命派に加わって演説したりしています)。

気丈なクララにとっても、三人の幼児を連れた、このドレスデン脱出は、並み大抵の苦労ではなかった。ことに彼女はすでに六ヶ月の身重な体であり、生後九ヶ月の赤ん坊のルドウィックはむろんのこと、かよわいユールヘンもとうてい長い道程を歩くことは不可能であった。こうした健気なクララの姿をシューマンはいつも頼もしく、敬愛の心で感謝していたのであるが、クララにとっては、常にやさしい守り手を必要とするシューマンも彼女の子供の一人なのであった。
「クララ・シューマン 真実なる女性」

家事と育児を助けてくれたブラームス

そんなシューマン家の家事と子育てを助けてくれたのが、若い頃のブラームスでした。

シューマンは、自宅を訪ねてきた20歳の無名のブラームスの演奏を聞いて「神が遣わされた!」と感激します。

シューマンは貧乏だったにも関わらず、他人の良いところを一生懸命探す人だったようです。若いショパンを雑誌で「天才だ!」と紹介するなど、若い作曲家を惜しみなく支援する人でした。

シューマン夫妻は一目で、純真な若いブラームスを愛し、天才のみが天才を知る直観と洞察力をもって、いまだ会い見たばかりの青年の稀なる素質を、感知したのであった。実に彼らは翼を持てる人々であったのである。ブラームスの人懐こい真摯な性格はたちまち夫妻に気に入られて、一家の息子のような愛情と信頼に包まれたのである
「クララ・シューマン 真実なる女性」
はにかみやのブラームスも穏やかなシューマンの前ではやすらかな気持ちに落ち着いてくるのを感じるのであった。
「クララ・シューマン 真実なる女性」

映画「愛の調べ」での三人の出会いのシーン(実際にブラームスが演奏したのは別の曲だったようですが)。

ブラームスは貧しい家の出で正式な教育を受けておらず、ピアノをクララから学んだりもします。

しかしシューマンの方は、指揮者を解雇されたりして、どんどん病んでいき、ついに精神病院に入院し亡くなってしまうのですが、傷心のクララと一家を支え続けたのがブラームスです。
ブラームスもまた子ども好きで、クララが演奏旅行で留守のとき子どもたちの面倒を見てくれるのです。

そしてブラームスはクララの音楽的才能を強く信頼し、自作を全てクララに見せてから出版しています。死ぬまでずっとです。

だから、ある意味、ブラームスもシューマンも、クララ・シューマンがいなかったら今のような作品を残していなかったかもしれない。

ブラームスとシューマン夫妻との清い美しい友情は、シューマンとブラームスの作品を愛する後世のわれわれにとって興味が深いばかりでなく、人間性に対する一つの大きな信頼と感動を与えてくれる。
「クララ・シューマン 真実なる女性」

まさにこれが、シューマン夫妻とブラームスの映画が何度も作られる理由なんだと思います。私のお勧めは古いモノクロ映画「愛の調べ」(Amazonリンク)で、キャサリン・ヘプバーンがクララを演じてます。史実とは少し異なりますが、アマゾンプライムで見られます。

ブラームスの末裔であるヘルマ・サンダース=ブラームス監督(2008)の「クララ・シューマン 愛の協奏曲」(Amazonリンク)はかなり当時の男女差別的側面が強調されたフィクションで、ブラームスとクララが恋愛関係にあったという解釈です。

でも何よりお勧めは書籍「クララ・シューマン 真実なる女性」(Amazonリンク)です。昭和16年に原田光子さんが史実を調べて書いた古い本ですが、何度も復刊され、昔は5720円 もしたりしたのに、今やkindleで793円で読めるので、本当にお得です。

ただ、音楽を聴いてない方は、先に映画を見て、なんとなくイメージした方が絶対楽しいと思います。書籍には同世代のメンデルスゾーン、リスト、ショパン、ベルリオーズ、ワーグナーも出てきます。一気にクラシック音楽の巨人たちが親しい存在になります。

完全に趣味に走ってしまいましたが、今も昔も案外人の本質は変わらないのでは、と思います。

それではまた。


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