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無理に「共通点探し」をしなくてもいい理由

先日、「他人と意見が違うとモヤモヤするときどうするか」って記事を書きました。

この「モヤモヤ」の奥底には「相手に共感しないといけない」「理解しないといけない」って強迫観念があるんじゃないかなぁ……。

共通点を探すクセをつけると、本音をいうのが怖くなる


もしかしたら、普段から、「共通点」を探しすぎているかもしれません。

「あの人かっこいいよねー」「あそこのスイーツおいしいよね」「うんうん、そうだよね」「わかるー」って「共通点探し」の会話、してないでしょうか。

別にしてもいいし、私もしてるんだけど、この「わかる、わかる」に捉えられすぎない方がいいと思うんですよね。

「共通点だ」と思ってたものって突き詰めてくと「共通点じゃなくなり」ます。
同じ音楽好きでも、曲の好みが違う。おなじグループが好きでも、メンバーの好みが違うーー細分化していくと共通点なんてなくなります。
「何から何まで全部同じ」って人は多分いないと思う。

それに、人は必ず変わるので、「共通点」でつながると、相手が変わったときに苦しくなります。「好きなものが好きじゃなくなった」りして友情にヒビが入ってしまいます。

「わからない」に注目した方が、実は会話って面白くなる気がする。

「相手の話は理解しなくていい」

インタビューライター/ブックライターの丘村奈央子さんの『「話す」は1割、「聞く」は9割 どんな人とでも会話が途切れない究極の方法』には、「共通点探しって本当に必要?」って項目があります。

会話を息苦しくしてしまう他の原因には「共通点探し」もあると感じます。

では、どうして共通点を探してしまうのか。
それはみんな、「共通の領域でしか会話が成立しない」と思い込んでいるからです。だからこそ、会話でギャップが見つかると「埋めなければ」という意思が働いて、多くの場合は聞き手にプレッシャーがかかってしまいます。

しかし、実際の人と人との関係を考えると、共通点なんてほんの少しです。

丘村さんはこうも書いてます。

なかなか「聞き上手」になれない人たちの話を聞いていて、「これは大きな誤解かも」と思ったポイントがあります。それは、「聞き上手」は相手の話を全て理解して受け入れなければいけない、「聞き上手」はそういう人であるべきだ、と言う思い込みです。

相手に合わせて自分の意見を押し込めなければいけないのでだんだん会話が苦痛になってしまうんです。

実は、共通点なんてまったくなくても、会話ってできてしまいます。

たまには共通点ゼロの人と会話してみる

私のオススメは「共通点ゼロの人と会話する」です。

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