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暗記型教育がなぜ有害なのか。ブラジルの哲学者に学んでみる

「教えない先生がいい先生」と「子どもが教育を選ぶ時代へ」(集英社新書)に書きました。

でもなんでそうなっているのだろうか?
なぜ、先生が教えるのがダメなの?

この考えの源流が、大学院で見つかりました。
第3週目の授業で課題となった、ブラジルの哲学者パウロ・フレイレです。

なぜ教師がひたすら知識を詰め込む教育が有害なのか?

フレイレは、20世紀を代表する教育思想家。
学校・先生がカリキュラムを決めて、教師が話す、「伝統的教育」を「銀行型教育」と呼んで批判します。

ついでなので、日本語になっている「非抑圧者の教育学」をご紹介します。

基本的に、教育する者はひたすら一方的に話すということである。

(「非抑圧者の教育学」)

教師が一方的に話すと、生徒はただ教師が話す内容を機械的に覚えるというだけになる。生徒をただの「容れ物」にしてしまい、教師は「容れ物を一杯にする」ということが仕事になる。「容れ物」にたくさん容れられるほどよい教師、というわけだ。黙ってただ一杯に「容れられている」だけがよい生徒になってしまう。

(「非抑圧者の教育学」)

生徒と気持ちを通じさせる、コミュニケーションをとる、というかわりに、生徒にものを容れつづけるわけで、生徒の側はそれを忍耐をもって受け入れ、覚え、繰り返す。これが「銀行型教育」の概念である。「銀行型教育」で生徒ができることというのは、知識を「預金」すること、知識を貯めこむこと、そして、その知識をきちんと整理しておくこと、であろう。いわば、知識のコレクターというか、ファイル上手というか、そういうタイプの人になる、ということだ

(「非抑圧者の教育学」)

私は子どもが学校を断固拒否したのを機に、現行型の教育に疑問を持ち始めましたが、相性の問題かと思っていました。

ではなぜ、「銀行型教育」がダメなのでしょうか?

「銀行型教育」は批判的思考力を奪い、「受動的な市民」を作り出す

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